ブログ - 20190203のエントリ
木枯らしが舞い、寒さに震える今日この頃である。そに身を置いていると、木枯らしの向こうに、悲惨な事件が平行宇宙として、見えてくる。
四十五年前の、(連合赤軍浅間山荘)事件である。
二、三前に、レンタルビデオ店で、若松孝二監督の(連合赤軍)を借り、観た。最初の出だしは、事件の全容を追うばかりで漫然とした流れであったが、榛名山に入ってからの軍事訓練の場になると、真相に迫ってきた。た。総括と言う、名の元に幹部が些細なことで反革命的だと言って、部下を殴り、戸外に放置して凍死させた。自らは永田洋子と性関係っを持ちながら、部下の性関係を責めて殺したり、わたしが最近経験した某左翼政党、某宗教団体、某労働組合団体と全く同じ独裁・独善性の構造を露呈してくれたのであった。
逃亡者が出、派閥争いが出、食うものもなくなり、結局、山荘に逃げ込み、女管理人を人質にして、機動隊に捕らえられる。(我々の初めての革命闘争であった)と言葉を残して、首謀者を初め、十名近い者達は二十歳代の若さで死刑になった。
その頃、わたしは大学を卒業?(卒業式にも出ず、卒業証書も貰わなかったが)し、定職にもつかず、日雇い肉体労働でしのいでいた。学友ともすべて、縁を切り、家族とも離れ、孤独であった。連合赤軍事件をニュースで知った。
大学の空手同好会に入り、リンチを受け、悪夢にうなされていた。あんな、ボンクラどもからしごかれたことに腹を立てていたが、そこに入部していなかったら、学生運動に身を投じていたことは間違いなかったのである。
それで、死刑を免れた。
気性の激しいわたしは間違いなく幹部になり、部下を殺し、死刑になっていたであろう。
世の中も人の心も知らず、二十歳代で死刑になった(自分)を追悼するだけである。