ブログ - 201902のエントリ
産直店に野菜や花を出している。わたしの家は広くて、亡くなった母が色んな花や木を植えていたので、伐採は大変であるが、一年中、収穫の楽しみがある。産直店に出品する要領も自然に分かってきて、いろんなものを出し、わずかな小遣い銭ほどにはなるが、生活費に消えてしまう。今は水仙、フキノトウ、ヌカ、もみ殻などを出している。
そして、沈丁花に初めて、手を付けた。
これが売れるかどうか、全くわからず、値段の付け方もわからなかったが、一枝150円で出してみた。四本出したが、二日間で売れた。それに味をしめて、十日間ほど、毎日、出した。
足の膝の高さにしかない二本の木であったが、何とも可憐な花である。まるで、処女のような姿と淡い赤色で、ひっそり咲いていた。それを毎日、切り落とし、店で値札を付けて出す、・・心が痛んだ。たくさん咲いてる水仙に対しては心の痛みなど全く感じないのに、沈丁花に対しては、涙が出た。娘を身売りに出す父親の気持ちである。自分の貧乏に対する悲しみである。
すべての花を出し終えて、残った枝を切って、二十本ほど、挿し木にした。
来年は、これから芽が出て、花を咲かせるかもしれない。
自分の生活も、見売りに出さなくてもいいようになってて欲しい。
これまで、小説なるものを書いてきたが、ホームページは別として、一度も活字にも本にもならなかった。体験の部分は良く書けているがそれ以外は、何を書いているのかわからない、もう一度小説の書き方から勉強してみたらなど、の意見があった。書いた自分は満足しているのに意外な言葉に落胆していた。小説を書くとはどういうことなのか?自分なりに、考え続け、傑作を何度も読んだ。
結局、料理と同じであると、結論付けた。材料負け、現実体験をそれだけに執着して、乗り越えきらなかったのである。昨年の夏から、ある若い女に読んでもらって、スラスラ読めた、涙を流した、の感想をもらって、俄然、書く気になった。以前の作品に手直しを入れて、長編を二作、書き上げた。文学賞に応募しているので、来月号に予選の結果が出る。物忘れが出始めたうえ、記憶力の悪い自分が、読者を泣かせるほどのものを書けたとは驚きであった。
料理を作る時は、泥を落とし、皮を剥き、調味を考え、野菜の味の混ぜ合わせを考えたりするが、作品を作るとはまさにこのことである。想像力、創造力が要求されるが、小説の場合は、その作品のレシピはないし、似たようなものが出来たとしたら、失敗である。あくまでその作者しか書けないものを書くことが要求される。
素材の味、現実体験の味を失わないように、そして、読者に味を楽しめるようにと、書いた。
料理をすることによって、体験を客観視し、俯瞰した。それによって心の中にわだかまっていた過去をある程度、ご破算することが出来たように思う。
(罠に掛かった子イノシシ)も短編に仕上げられそうな気がして、取り掛かっている。
毎日、山歩きをしているが、三日前に山道のそばに子いのししがいるのを発見した。瓜坊から少し大きくなったくらいで、毛も黒く、一メートルほどの体長であった。罠に掛かってるのかと考えて近寄ると、体にワイヤが巻き付いていて、逃げようと走り回っていた。ワイヤは木の根元に巻き付いていた。
どうしたものか?と迷いながら、役場の産業振興課に電話した。そこが猟友会の関係先でもあり、女子職員に、子いのししの所在場所を教えた。猟友会に連絡するとの返事であった。
一昨日、また山歩きをしていると、子いのししは同じ場所で逃げようとして動き回っていた。役場は土曜日で休みだったので、交番に行って相談した。(御主人はそのイノシシをどうしたいのですか?)と意外な質問が返って来た。(可哀そうじゃないですか?このまま飢え死にするまで放置するのですか?それにわなを仕掛けた者の住所も電話番号も書き出されていない。知ってる猟師にメールをすると、それは法令違反だといっている)(法令違反ではありません。それにイノシシは有害獣なのです)と言い、犯罪行為でもないそんなことに関わっている時間はない、と言いたげな気持ちが分かった。
自分で何とかやってみます、と答えた。
昨日は、食パンとミカンを持ってその場所に行った。子いのししは相変わらず、動き回っていて、近寄ると私の体の体当たりするような動きを見せた。みかん、ジャガイモ、食パンを投げてやると、鼻で吹っ飛ばすようにしながら、食パンは少し食べた。ワイヤをペンチで切ってやろうか、体のワイヤを外してやろうか?と考えたが、動きが速すぎるし、どうも怖い。
知り合いの漁師の所に行って相談した。勝手に罠を外したりすると、仕掛けた者が怒るかもしれない、と言う。こんな場合は猟友会も手が出せない、と言う。とりあえず、餌をやって、わなを仕掛けた者が回って来て発見するのを待とうと考えた。夕方に、水で米糠を溶いたのを持って行ってやった。
子いのししの姿が消えていた。ワイヤの巻き付いていた小さな木は鋭利な刃物で切り落とされていた。誰かが切って、離してやったのだろう。
一安心したが、妙に気持ちに引っかかるものがあった。野性・自然と人の関係である。確かに有害獣であるが、誰が有害獣にしたのかと言えば、人間がしたのである。四、五十年前までは、イノシシが里山に降りてくることは無かった。自然が破壊され、仕方なく降りてきているのである。
そこまで人間が自然を破壊したということを考えねばならない。
(イノシシは有害獣だから、餌をやってはいけないのよ)と言った女もいた。(見殺しにするのか?)というと、黙り込んだ。問題提起になりそうな出来事であった。
馴染みのスーパーマーケットに食材を買いに行くと、食用の小形ジャガイモが並んでいた。あまりにも小さく、親指二つほどの大きさであるが、一袋が99円で、四十個ほども入っている。すごく安いが、一個ずつ皮を剥いて食べるには、面倒だ。種芋にしようと考えたが、店頭に並ぶ場合は発芽をしない薬を使っていることがある。店員に尋ね、調べてもらうと、発芽するというので、思い切って全部、十二袋を買った。
畑には枯草チップを載せて準備を終えていたが、燃やして燻炭にはなっていない。チップは水を蓄えているので燃えにくい。好天を待って、燃やしてからジャガイモを植えようか?と迷っていたが、とりあえず、植えておいて、それから燃やそうと考え、ジャガイモを土の中に埋め始めた。ジャガイモを生産した農家は小さすぎて、そんな値段で出荷したのだろうが、儲けにはなっていない。ジャガイモは成長しても何個かには養分が行き渡らずそんな発育不良が出来てしまう。人間や動物の場合だってそうである。
ジャガイモの顔を観ると、みんな、小さくて可愛い。
半年後には収穫することになる。ゲンコツほどにも大きくなっているだろうか?一株に四個なったとして、なんと二千個も出来る事になる!可愛い顔を観ながら、それだけの子供たちが産まれることを想うと、変に、楽しく、怖くなってしまった。
何かが変だ?
どこかがオカシイ。
オカシクナッタ。
三十年前から、新聞やテレビを見るごとに、考えていた。
わからなかった。
今、わかったような気がする。
1960年から1980年まで、反権力闘争を見聞した者として、わかった。反暴力や平和主義は本来、左翼が訴えていたものであったがそこには(闘い)が潜んでいていて、矛盾対立を孕んでいた。新左翼が連合赤軍浅間山荘事件で、自滅し、新興宗教に勢力を奪われて、自民党政権は長期にわたって権力の座につき、時間をかけて権力の支配権を握り、知恵をつけてきた。
それは、反暴力を訴えることで、国民の反抗心を奪い、権力を譲り渡さないと言うやり方であった。セクハラ、パワハラ、幼児虐待、ヘイトスピーチ、暴追放など権力の暴力以外はすべて禁止するという裏の政策であった。マスコミは被害者のことは書くが加害者の心理などは一切書かない。それは加害者に与する、という考えから来ているがそんなやり方では真実は見えてこない。ともかく、暴力は悪い、と言うだけであるが、永遠のモグラ叩きにしかならず、読者が増えればそれで良いのである。
わたしは、長男が小学生の頃、よく、殴ったが、悪かったとは思わない。
もう一度、暴力の本質を問わねばならない時に来ている。それはエネルギーの一つである、という考えであり、それが良いか悪いかなんて言えはしない。
先週の金曜日、自分の家の竹の子山に行った。イノシシが出て、竹の子を食い荒らす時期だから、対策に頭を悩ませ、有刺鉄線を張ることを思いつき、様子を見に行ったのである。上下に二本張り、✖印状にしようと考え、そうすると三百メートルのもなる大変な作業だと結論づけた。
山道を歩きながら帰っていると、道を走っていた軽自動車の中から、若い男が自分を呼び止めたので話した。猪猟に来て、わなを仕掛ける場所を探してると言い、自分の山に仕掛けてくれ、とすぐに答えた。二人で、自分の竹の子山に行った。
彼は、ここが通った跡ですね、成獣で50キロぐらいかな、と幅十センチほどの地面を指差し、これは体についてるダニをこすり落としたあとですね、と黄色く汚れた孟宗竹の幹を指差し、さすがにプロであった。今度、来て、カメラとわなを仕掛けるという。
捕ってどうするの?
食べるのです。
どのようにして殺すの?
鉄の槍で突き殺すのです。感謝の気持ちが湧いてきます。自然の一部を頂いてるという気持ちです。
彼は都会からやって来た者で、自然が大好きだという。住まいの近くにサッカー練習場があるが、スポーツより猟の方が楽しいという。
私も同感であった。
昨日、メールが入った。カメラと罠を仕掛けたが、罠にはまだロックを掛けていて、金、土曜日にロックを外すという。
若いのに自然が好きだという言葉に自分は感動し、殺す場面を見させてくれ、と言うと、彼は了解した。
ジョージ・オーエルの小説(象を撃つ)、ジャック・ロンドン(荒野の叫び)を思い出した。同時に自分の書き終えた小説の中で、箱檻の中の猪を鉄槍で殺す場面があることを思い出した。
殺す側の人間がどんな心理状態になるか?に自分は関心がある。
片足が罠に掛かった猪を鉄槍で突き殺すわけだから、闘牛士のような心理であろう。絶体絶命の緊迫状態、すべてを忘れた時、それに酔い、絶頂に達し、射精したと自分の作品には書いている。
木枯らしが舞い、寒さに震える今日この頃である。そに身を置いていると、木枯らしの向こうに、悲惨な事件が平行宇宙として、見えてくる。
四十五年前の、(連合赤軍浅間山荘)事件である。
二、三前に、レンタルビデオ店で、若松孝二監督の(連合赤軍)を借り、観た。最初の出だしは、事件の全容を追うばかりで漫然とした流れであったが、榛名山に入ってからの軍事訓練の場になると、真相に迫ってきた。た。総括と言う、名の元に幹部が些細なことで反革命的だと言って、部下を殴り、戸外に放置して凍死させた。自らは永田洋子と性関係っを持ちながら、部下の性関係を責めて殺したり、わたしが最近経験した某左翼政党、某宗教団体、某労働組合団体と全く同じ独裁・独善性の構造を露呈してくれたのであった。
逃亡者が出、派閥争いが出、食うものもなくなり、結局、山荘に逃げ込み、女管理人を人質にして、機動隊に捕らえられる。(我々の初めての革命闘争であった)と言葉を残して、首謀者を初め、十名近い者達は二十歳代の若さで死刑になった。
その頃、わたしは大学を卒業?(卒業式にも出ず、卒業証書も貰わなかったが)し、定職にもつかず、日雇い肉体労働でしのいでいた。学友ともすべて、縁を切り、家族とも離れ、孤独であった。連合赤軍事件をニュースで知った。
大学の空手同好会に入り、リンチを受け、悪夢にうなされていた。あんな、ボンクラどもからしごかれたことに腹を立てていたが、そこに入部していなかったら、学生運動に身を投じていたことは間違いなかったのである。
それで、死刑を免れた。
気性の激しいわたしは間違いなく幹部になり、部下を殺し、死刑になっていたであろう。
世の中も人の心も知らず、二十歳代で死刑になった(自分)を追悼するだけである。
二か月先に、統一地方選挙が待っている。わが町の町会議員選挙にも動きが出始め、現職の三人が立候補せず、六人の新人が立つらしい。自分には期待感がなく、どこか憂鬱な気分である。
投票したい候補者がいないのだから、棄権すれば簡単なことであるが、、それは悪いことのように思える。ある知り合いの男の三十五歳の娘が立つというので、彼女と少し立ち話をした。町への企業誘致をする、子育て支援などありきたりの公約であった。ありきたりと言うより、その言葉に信念が感じられず、立候補に、いくらくらいの費用がかかるか?と訊くと、数万円だという。彼女父親から町の全世帯にチラシを配ったと聞いていたから、だいぶかかったと考えていたがそうではなかったので安心した。
何のために立候補したのか?と訊くと、この町を良くするためです、と言う。張り切った表情もなければ声もない。以前、自分の家に投票依頼のために訪れた女・立候補者のことを思い出した。
「この町をどのようにしたいのですか?」
と、尋ねると、同じく、良くしたいです、と応え、「どのようにしてですか?」と言うと、「それは当選してから決めます」と言った。
彼女が去った後、唖然としてしまった。
政治家という意識も信念もまったく、無いのである。当選して、町民から、いろんな要望を訴えられると、すべてに対して良いですよ、やりますよ、とこたえるが、口先だけである。議員報酬、つまり金が欲しいのである。そして、町議会という、質問と応えの予め決められたお遊戯会に一日中座る仕事に就くのである。議案に対して、突っ込んだ質問をすることもなく、居眠り半分で聞いている。議員としての仕事の評価もなく、遊び半分にやっている。
なぜ、こんな仕事、こんな者達がまかり通っているのであろうか?それは政権側が彼らの都合の良い政治をするためである。
不発弾と決めるのはまだ、早いだろうが、昨日、完成して、出版社に送った。懸賞小説への応募だから、賞金への夢が膨らみ、貧乏生活からの脱出へ期待し、数日間は夢を見させてくれるだろうと考えていた。昨日までの消印が必要だったが、書き直しやプリンターの不調が突然発生して、郵便局の閉店時間に間に合わなくなり、焦ってしまい、諦めようかとも一時、考えたが、エプソンに電話を入れ、そこからパソコン操作の指示をしてもらってやっと、120枚のプリントを終え、郵便局に行って、送った。
数年に一度の出来事であるが、これがもし、爆発したらどんなことになるか?その意味では小説を書くことは、すごく怖いことなのである。書き出しに、オトコオンナ、書いていたが、差別用語だと判断されて撥ねられるかもしれないと考え、男みたい、と書き換えたり、あの時、・・が・・としゃべり、そのことは作品の中にそっくり借用しているではないかと、それが、爆発で露わになったら大変だ!と、その言葉を聞きながら考えこんだりした。
無名であることが救いであるが、作家であればモデルがほとんど存在するのだから、書いて世に出すことは相当な冒険である。無事、爆発して世に出れば、一千万円の懸賞金は入るが、モデルから叩かれ(叩くことが好きな人であるから)、それだけでなく町中の知り合いから、(人をダシにして金儲けした男)として、除け者にされるにちがいない。
不発を願いながら、爆発を夢見る男なのである。