ブログ - 201802のエントリ
昨日の日曜日はカラオケ教室の発表会が、岡垣町サンリーアイで行われた。生徒、および親しい関係のあるカラオケ教室の生徒、指導者たちおよそ150 人が参加し、午前九時から午後五時頃まで歌った。この日のために一年間、教室やカラオケ・ボックスで練習してきた。単なるカラオケではないか?と言われればそれまでだが、参加者のすべてが余生を生きる老人たちであり、(辞世の句)を歌う気持ちがあったにちがいない。
わたしは昨年と同じく、舞台の袖口で歌い手にマイクを渡す係を頼まれた。歌い終わった人に、ご苦労様でした、と言ってマイクを受け取り、舞台に出る人には、お願いします、と言ってマイクを渡した。袖口には二人が出番を待っていて、言葉を交わしたりした。
(わたしは動脈瘤の手術や胃がん、腎臓がん、心臓バイパス手術をして、体中ボロボロなのです。人工血管が体中にたくさん通っていて、いつ切れて、倒れるかもしれません)
と言ったのは薄青色のドレスをまとった老婦人であった。
(それは大変ですね)
と、わたしは驚いた。
彼女は少し不安定な歩き方で舞台に向かい、マイクを握って歌った。
上手に歌いきったことは憶えているがどんな歌詞だったのかまでの記憶はない。
来年も彼女は来るであろうか?いや、自分もここにいるであろうか?
と考えたりした。
(黒いダイヤ)を歌った老男はよくカラオケ発表会で歌う人で、胃がんのため胃を全部切り取った人であったが、力強く歌った。(黒いダイヤ)とは石炭の別称であり、彼は石炭の採掘労働に従事していたと聞いた。
(気合を入れるために思い切り、肩を叩いて下さい)と言われ、気が進まなかったが、叩いた。大学時代、一撃必殺の空手をやっていた。背後から両肩を思い切り、叩かれる、激しい訓練であった。その時を思い出して気が進まなかったのである。
時々、歌謡会で妻が優勝している女の夫がステージに立ち、彼女の訓練が良かったのであろう、上手に歌っていた。彼女はカラオケ教室で私の隣に座っていて、お父さんが上手くなった、と話していた。
わたしは9番目に歌い終わっていた。息継ぎを多くして、声量に余裕をもって感情を入れる、という狙いが当たっていたので満足していた。
(あなたは声は良い。歌は何といっても声ですよ。それに姿勢が真っ直ぐしていて良かった)
お世辞のうまい友達女に言われ、良い気分であった。
(顔は?)
と尋ねると、
(それも良いわ)
と冗談で誉めてくれた。
歌ったのは鏡五郎の(千鳥の舞)である。
(あれも夢です。これも夢。せめて会いたやもう一度。はぐれ千鳥の鳴く声に、忍ぶ都のあの女をー)
この歌詞にはわたしの四十年前の事件ともいえる出来事、そしてあの女への気持ちが込められている。それを今、小説にして書いている。
カラオケ教室での出来事だけでも小説になりそうである。
キリスト教の神父が毎週わたしを訪れ、わたしも日曜礼拝に通って聖書の勉強をしている。聖書は奥が深く,研究に取り込むには良い対象である。かれらは入信してくれとも言わないし、信仰を強要することもない。
わたしは聖書を朗読し、あらかじめ書いてある質問に応える。この文脈では答えはこうなると私が言うと彼らは満足した笑顔を浮かべるが、わたしは時々、突拍子もない質問をする。(飛んでもないことを話しますが、気を悪くなさらないでください)と断り、サタンは神の分身ではないですか?と問うと彼らはしばらく黙り込み、なぜですか?と訊ねてくる。(神の子は人であり、人はサタンであるとあなたたちは言うのであるから、神はサタンであると言う事になるのではないですか?)
その質問に答えは無かった。
(神はソドムとゴモラという淫行と快楽に堕落した街を滅ぼし、ハルマゲドンが起こるといって悪魔に支配された人類を一掃し、新しい世界を作ろうとしている。これは神の行為だから許されるとあなたたちは言うが、人類を滅ぼすのはサタンではなかったのか、神が滅ぼすなんて納得できない!神の行為であれば何でも許されると言う考えは神の名において何でもできる、しても良い、という怖い思想を産むにちがいない。・・オーム真理教や宗教戦争で行われたように)
私続けて言う。(この前、静電誘導の話をしましたけど、エボナイト棒を擦ると、棒の端にプラスかマイナスの電気が生じ、棒をいくら小さく切ってもその状態は消えはしないし、量も一定である。これは神とサタンの関係にも当てはまるのではないか?その電気は性格が異なるわけではなく同じものである。+と?とは量から質への転換に過ぎない。これは神とサタンの関係に似ている。アメリカと北朝鮮の関係にも似ている。戦争への緊張が高まれば高まるほど武器が売れてアメリカは潤い、経済が良くなるのである。もしかするとアメリカは違う形で北朝鮮に経済援助をしているかもしれない)
こんな話をすると、パイロットをしていたと言う神父は考え込んでしまうが、教会での講演をする時には物理の運動の法則を持ち出すようになった。
こんな討論はわたしの思想と聖書の中味がぶつかる良い機会であると、勝手に考えている。
絵画でも写真でもそうであるが、陰影を失うと素材の存在感が無くなり、あるいは薄くなる。近頃、街中でも電車の中でも暴力団、ヤクザらしい者の姿を見なくなった。彼らはサングラスをかけたり、時には腕の入れ墨をちらつかせ、あるいは変わった服装をしたりして人目を引き、ほら、怖いだろう、俺はお前たちとは違う人種なんだ、と誇示していたのだが、野良犬、野良猫、ホームレスが消えたのと時期を同じくして消えてしまった。昔、わたしがNHkの集金の仕事をしていた時、ドアの前から、NHKの受信料のご相談にお伺いしました!と言うと、ちょと待ちない、と部屋の中からこたえ、おもむろにドアを開け、寒い冬にランニングシャツ一枚の上半身に唐獅子牡丹を見せながら、なんな?とわたしの眼を見据えてきたものであった。時には老いて皺の混じった肌の入れ墨を見せたり、半身不随になった老男に会ったりした。わたしは最初は驚いていたが、しだいに怖くなくなってきた。
暴追放のせいで彼らは社会の表面から去ったのであろうが、風俗や歌謡曲、映画、舞台から、(怒り)(反抗)が消えている。街中の人々の表情からも怒り、同時に活気が消えてしまった。怒りは生きる上において大事なことなのである。戦争反対、セクハラ、パワハラ、マタハラは犯罪である、という言葉が暴力の退場とともに増える一方である。
わたしは日本共産党の集会の場でも発言した。あなたたちは戦争反対をいつも訴えるが、軍備はいらないのか?戦争は本当になくなるのか?そこから議論すべきではないか!と。すると、戦争反対は決まったことであるからそれに従うべきである、と返って来たので、(俺はそれに賛成してはいない)と言い返してやった。
5年前に心臓のバイパス手術を受け、成功した。12時間の大変な手術だったので執刀医には感謝している。心筋梗塞を起こして死にかけていた自分が、今では一時間半の山歩き、農作業、カラオケ教室、パソコン教室、障害者の会、年金の会などに通い、ウコンのおかげで性欲も十分に回復している。
さて、70歳からの、第二の人生が待っているのだ。株で儲ければ、東京に行って、青春の跡地を訪ね、大学時代の悪友に会い、女と遊び、海外旅行をし、自分なりの(聖書)の執筆にとりかかろうと考えている。
今月の初めに喘息にかかり、インフルエンザにもかかった。毎月通う病院の看護婦から、予防注射を受けた方が良いですよ、と言われながら、(肺炎でも起こして死んでも良い)と応え、失笑を買っていたが、ついにお迎えが来るかと高を括り、放置していた。同時に便秘も続くので。検便で大腸がんの検査も出していた。
風邪は治り、癌にはかかっていなかった。
いつでも死んでも良い、と考えているが、従軍しながら命拾いした父がよく言っていたように(付録の人生)なのである。あの時、あと二、三時間遅れていれば死んでいたわけだから、自分の命のしぶとさに驚き、感謝している。退院時に医者から、酒は絶対ダメですよ、と言われながら、ほとんど毎晩酒を飲んでいる。命を拾ったわけだから、(命拾い)とはよく言ったものでる。
ケンタッキー・フライド・チキンの奇形鶏をネットで見て、ショックを受け、人と自分の未来を知ってしまった。肉の量を増やすために遺伝子操作をし、四つ足、五つ脚の鶏を生産し、フライドチキンにして客に食べさせていると言うが、生命を冒瀆するその商法に資本主義の根本を疑ってしまう。あんな悲惨な、怖いことまでして利潤の追求をしなければならないのか?でも、私たちは添加物だらけの食品をほぼ毎日食べて生きているではないか?コンビニで弁当やお茶を買って飲食することは当たり前のことになっているし、スーパーで買う物、レストランで食べる物、果ては水道の水にまで有害な添加物が入っていて、癌や認知症の素因を作り、子孫にまで悪影響を与えているのである。
その方向に対して、わたしはほんのわずかな抵抗をしている。チップ農法による無農薬、無肥料の野菜作りである。今は、夏野菜の準備をしていて、10畝にチップを播き、発酵菌が土を食べ、地面の下に浸食し、養分を作っていくのを待っている。今は、白菜、カリフラワー、大根、ホウレンソウが育ち、とても良い味わいを出してくれている。無農薬、無添加100パーセントの野菜作り、出荷を目指している。
今のところ、毎朝、目が覚める。私は無職であるから、しなければならないというものはない。起きても起きなくても良いわけだから、出来るだけ暖かい布団の中に居たいと思って、長寝をしようとするが、トイレに行こうと立ち上がり、パンを焼いてコーヒーを飲む、そんなことをしてるうちに私の一日が始められる。
(行く川の流れは絶えずして、元の水にあらず)という鴨長明の随筆を思い出す。これはまさに哲学である。その言葉のとおりでであり、時間がエネルギーであることを言い当てている。わたしの一日の動きでも前と同じ状態はありえない。空間の中の物の変化が時間を産み、エネルギーになる。エネルギー不滅の法則があるように地球に重力がある限り、エネルギーは消えない。
目覚めぬ朝が来たとしても、わたしの死体の腐敗、白骨化の変化によって、時間はエネルギーを持ったまま永遠に生き続けるのである。
毎日、寒い日が続き、空は薄暗くて、気分が落ち込むことがある。これで春が来、夏が巡って来るのだろうか?と不安になる。
あの日の夏のことは忘れないし、思い出すたびに心を支えてくれるのがわかる。わたしの体の中に入ったタコちゃんは今頃、どうしてるか知らないが、わたしと共に生きていることは確かだ。
津屋崎の勝浦の岬がわたしの勝手な漁場であった。地の島を目の前にして、潮が良く引いたの大潮の日に出かけた。水中眼鏡とシュノーケルをつけ、素潜りをした。浅瀬の海の底は差し込む陽光が金色に光り、無音の中に神秘的な景色を砂地に展開していた。わたしはアワビやサザエ、魚を探しながら漂っていた。岩場におかしな現場を見た。穴の入口に手の平の半分くらいの薄い石が立てかけてあったのだ。横に倒れているのであれば自然であるが、(立っている)ことに不自然さを覚えた。そばに空の貝殻が散乱している。ピンときた。タコの巣であろう。私の気配を察して、穴の入口に塀を立てたに違いない。私はすぐに浮上して、息をたっぷり吸った。潜ると、穴に手を伸ばした。柔らかい感触を得た。タコの体の一部を握り、引っ張り始めた。タコは岩肌にぴったり張り付き、掴まるまいとした。数分、格闘した末、タコは根負けして手の中に入って来た。
あまえも賢そうだけど、賢くなかったんだな。石の塀などしなければ見つからないものを、知恵を回し過ぎたために食べられてしまうことになった。
こんなこと、今、思ってるのはあの時のタコかもしれない?