ブログ - 20180830のエントリ

サド・マゾはどこへ消えた?

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2018-8-30 7:45

  セクハラ、パワハラ、イジメ、シゴキ、戦争など、加虐行為がすべて否定される現代であるが、その時代の中で被虐・加虐を快感とするサド・マゾの人々はどのように考え、行動しているのか興味をそそられる。彼らの世界では被虐・加虐は許され、合意の上での行為なのである。裸の体に蝋燭の火をたらし、たらされ、鞭で叩く、叩かれることは快感であり、性行為が加わって射精にまでいたるる至上の世界なのである。彼らがメディアに登場し、実演することはないし、自分たちの考えを述べることは無いであろうし、許されない状況であるが、セクハラを筆頭にして加虐行為を否定する時代はすべてを大きく変え始めている。まず、被虐をうけることによる抵抗精神、闘いの精神が消え、日常活動だけでなく政治・文化にまで及んでいる。高齢化も加わり、国力まで衰退させる流れである。

 五十年前、自分が東京で遊学してた頃、東京・後楽園のヘルス・ジムに通っていた。ひ弱な自分を鍛えるため、ボディビルを始めたのだ。地下一階の暗い部屋にはバーベル、ダンベル、腹筋台などが並び、上半身の裸の男たちが鍛錬をし、鏡に筋肉美を映して、成果を誇っていた。自分が連続百回のベンチプレスを終えて、一息ついていると、隣の腹筋台に座った男に気を惹かれた。どこかで知ったような男であったがすぐには思い出せなかった。男は上半身を真っ直ぐ立てて、静かに座っていた。どこか特別な体感が伝わり、自分は誰であるか思い出そうとした。三島由紀夫であることが思い出された。彼は当時、作家として名をはせ、ボディビル、剣道、空手をやっていると報じられていたのであった。

 自分の友達が彼に気づき、先生の小説はよく読ませてもらっています、と声をかけた。三島は、ううん、とうなずいたまま視線も表情も変えなかった。まるで仏の座像のように静かであったが、なにか違うエネルギーが底に漂っていた。五年後に、同士たちと東京・市ヶ谷の自衛隊基地に乱入し、自衛隊員たちに政治反乱を呼びかけたが彼らは関心を示さなかった。三島は割腹自殺をし、介添えではねられた首が板間に転がることになる男であった。彼はその頃、春の雪、という小説にとりかかり、西南戦争を舞台にした反乱をモデルにしている。(文化防衛論)という本も書き、近代化によって日本精神が失われることを危惧していたが、今の時代は彼が予言したとおりになってしまった。

 彼のように純粋な男が日本に現れることは無いであろうし、暴力行為を受けたら、闘え、と言いたい。

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