ブログ - 20180801のエントリ
私は二流の私立大学を卒業し、少し劣等感を持っている。入学式にも卒業式にも出なかったので、卒業してるかどうかもわからないし、それが問われるような仕事についたこともない。
社会に出て、肉体労働ばかりやってきたが、学歴とその人の能力は関係ないと考えている。学歴があれば学閥や知名度・権威で良い評価を受けることはまちがいないが、それは過大評価であり、いや、間違った評価である。学歴信仰の一般人たちは産まれた時からマインド・コントロールされたまま、信じ、布教活動を繰り返し、一生、正気に戻ることは無い。人の噂をするとき、彼らはほとんど学歴を持ち出し、家系とのつながりで評価しようとする。
自動車組み立て工の有期労働を終え、職業訓練校の自動車整備科に通っていた時のことである。そこは大学に入れなかったものや勉強嫌いの者、暴走族上りの者たちが座学や実習を学んでいた。不良の雰囲気があったが、わたしは勉強に精を出し、テストではいつもトップをとっていた。乗用車のエンジンの分解・組み立ての実習があった。わたしはテキストを見ながら、作業にとりかかった。隣の若者は暴走族に入っていて、時々、エンジンをふかす口真似をして、座学の時はいつも居眠りをしていた。わたしは彼の作業を見ながら、こいつはとうていこんな複雑な作業は出来ないだろう、とバカにしていたし、彼はテキストも見ていなかった。
一時間ほどが経った。ボルトやナットなど部品の数だけでも二千はあった。わたしは半ばまで分解しながら、そこから先がわからなくなっていた。隣の若者を見た。すでに分解を終え、組み立てをしているではないか?
唖然とした。これだけ頑張ってる自分が出来ないのに、こいつが何故、出来ているのか?
後になってわかった。自分はペーパー・テストには強いが、応用力に弱く、その若者に劣っていたのだと。記憶力ももちろん劣っていたし、一応の大学卒と言いながら、単純作業をする能力しかないのだと。
これに似たケースは数多く、経験した。学歴のない人たちがいかに評価基準の間違いの中で、冷遇・差別されているか・・。社会にとってもすごい損である。それに、マスコミが人を登場させるとき、何故、学歴を書き出すのか?マスコミは人の能力の多様性を訴えながら、自ら差別し、理由なき貧困をつくっているではないか!