ブログ - 20180817のエントリ
三村晴彦監督の映画”天城越え”を借りて来て、二度、DVDで観た。若い頃に、映画館で観て、感動していた。老いた現在、自分がどんな印象を沸かせるか?という興味、それに構成内容など作品の作り方の勉強も兼ねていた。二時間以上を見終わって、若い頃と同じ感動がよみがえり、作品の素晴らしさに気づいた。遊女の相手になった土工を殺してしまう少年、彼の青春の表現力が素晴らしく、今はどんな実人生を送っているのか?の興味もわいた。あの煌めくようなまたどこか陰影を含ませた表情,汗に輝く顔は演技章をもらっても良かったと思う。
自分の青春時を思い起こすと、少年といっしょに天城越えの街道を歩きながらおしゃべりをしたり、足のケガに包帯をしてくれたり、ついでに陰部を触ろうとしたりした遊女が土工に興味を変え、金をもらって藪の中でセックスをする場面、それに逆上した少年が土工をナイフで刺し殺す場面は自然な成り行きと同時に自分自身も殺す側に加担していることに気づいた。思い返すと、わたしが作者であれば少年は遊女の方を殺しても良かったのではないか?と考えた。わたしは女の裏切り、気持ちの行き違いは何度も経験させられ、痛い目に合わされた。
世の中には犯罪を犯して自己表現をする者、死ぬまで俗物の演技を続ける者がいる。わたしは逮捕・非拘置の経験はなく、今も俗物の演技を続けており、死ぬまでそうであろう。