ブログ - 20180328のエントリ

老男が神になびく時。

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2018-3-28 21:40

  (王国会館)に行くと、私は(エホバの証人)の研修生ということになっているし、自分でもそう思う。最初、布教者である神父が私の家を訪ねて来た時、(宗教的な考えには興味があるが、宗教団体には興味がない)と答え、今でもその方針には変わりはないが、(エホバの証人)の世界が少しずつ見え始めたようだ。世界の三大オカルトとして、統一教会、モルモン教、エホバの証人が名を連ねているが、それは多数派の排他性に基づいている。高価な丸い帽子を被り、高価な衣装をまとった宗派、あるいは高価な袈裟をまとった多数派仏教にこそわたしはうさん臭さを感じる。特に日本の(葬式坊主)とはきっぱり縁を切ってさっぱりしている。

 今、自分の人生の集大成として、(現代の聖書)の執筆に取り組んでいて、聖書や宗教一般について新しい発見をし始めている。聖書の続きが中世以降書かれなくなったのは、科学の発達に宗教がついていけなくなったからだろうが、創世記があの時代に天地や生物の誕生を書いたと言う事はまさに(神の霊感)によると思う。天才でも書けはしない。

 (現代の聖書)は現代科学に根本を求めながら、古代宗教的な考えとの融合を探し、量子力学の哲学に学ぶところが多い。神父に(サタンは神の分身ではないか?)と問うた時、シュレディンガーの猫にみる(死んでもいるし生きてもいる)と言う二項対立、いや二項融合に触発されたからである。(神でもあるし、サタンでもある)と言う論理を適用すれば、神が(ソドムとゴモラ)を滅ばしたり、洪水を起こして(ノアの箱舟)を造ったり、(ハルマゲドン)によって人類を一掃するというサタン的な姿勢が理解出来る。滅ぼすことで、再生を計っているのだろう。

 王国会館に行くと、信者達は皆、温厚な笑顔で私を迎え、男は私に、よく来てくださいました、と言って手を握って来る。淫行禁止、の掟があるので女たちは笑顔だけである。そこ一帯には、安らぎ、のオーラがただよっていて、いつも70人近くが聖書に基づく講話を聴き、賛美歌を歌い、アーメンを唱える。皆、清潔な服装で男は背広にネクタイ姿であるがわたしはいつものように作業服姿である。

 聖書をすべて読むには一生かかる、と聞いたが、なかなか奥の深さが感じられる。論文とも歴史書とも物語とも言える興味深い作り方であるし、子供にも大人にも理解出来、訴えるにはどんな表現方法が良いのか参考にもなる。

 特に私のような孤独な老人を待っててくれるのは、神しかいないようにも感じられる。会館の席に信者になり切れていないような寂しげな老男が見受けられる。数人いるが、そのうち私は彼らと言葉を交え、身の上などを聴いて自分と同じような境遇を知ることになるであろう。

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