ブログ - 20180320のエントリ
これも若気の至り、の一つであり、あんなこともあったと懐かしくなる。
神奈川県相模原のボロ・アパートが関東での生活の最後の拠点になるが、10年ほど前に労働組合の関係で出張した時に寄ってみた。会社の寮に変わっていたが、一階の奥の部屋のドアの前に立ってみた。安っぽいベニヤのドアを見詰めていると、ここでもう一度人生をやり直してみたら・・、という想いがこみ上げ、涙が出た。
今から四十年前、臨時工の仕事をしながらその部屋で生活していた。ある日の夕方、仕事から帰って来ると、不思議なことに気づいた。隣の部屋との境の通路に置いていた酒ビン、それは雨のしずくに打たれて汚れていたのだが、綺麗になっていた。ピン、と来た。隣に女が越して来て、拭いてくれたと。
その通りであった。空き室だった隣部屋から話声が伝わり、数日後に女がタオルを持ってあいさつに来た。25歳で、亭主と別れ、三歳の男児を連れていた。
ある夕方、彼女がドアをノックして、訪れた。(これから銭湯に行きたいのだけど、息子の喘息がひどくて連れて行けない。今、寝ているけど目ざめたら自分が居ないことを知って鳴き始めるに違いない。部屋で様子を看ていてくれないか?)と言う。すぐに了解し、部屋に入った。汚れた壁とカーテンのない窓があって、侘しい雰囲気の中で、男児は布団に寝ていた。やがて、目覚めた。母親がおらず、見知らぬ男がいるのを知って泣き始め、わたしを叩こうとした。わたしはなだめながら、すごく不憫になった。
一週間後、女はウイスキーを持って、わたしの部屋に来た。二人で飲んだ。彼女の亭主は新聞販売店を経営していたが、詐欺事件を起こして、服役しているという。わたしは、不憫になった。彼女は電気機器のハンダづけのパートをしながら、男児を保育園に自転車で送迎していた。彼女は嫌がったが、そこで関係が出来た。
もう一人の女は文通で知り合い、週に何度も分厚い手紙を送って来た。その内容は精神を犯された者の寂しい内容で、彼女は25歳であった。被害妄想が強く、精神も分裂しかけていた。三か月もやり取りをしていた後、彼女の父親が癌にかかって入院した。彼女は精神的に追い詰められ、誰からも恐れられて孤立していたので、耐えられず、私の部屋に転がり込んできたのであった。一つの布団に二人で寝るしかなかった。
三か月ほど経った頃、子ずれの女が、生理が止まって妊娠したみたい、と言い、文通の女も同じことを言った。わたしは唖然として、どうしたら良いものかと悩みはじめた。堕胎は嫌いなので産ませるしかなかった。
一か月後に二人の女は、想像妊娠みたいだった、と言い。わたしはほっとしたのであったが、妊娠が事実であったら、私の人生は大きく変わっていたに違いない。