ブログ - 201705のエントリ
昨年の2月頃、産直店でウコンを安く売っていたので買ってみた。健康に良いという事しか知らなかったが、試しに畑に二畝ほど植えてみた。小指サイズほどに切り、穴を掘って植えた。6月頃に芽が出て、大きく伸び始めた。葉は背丈の半分ほどまでになり、生命力が強いのであろう周りに雑草がほとんど生えなかった。十一月頃に葉が枯れ、倒れた。掘り出してみたものの食べ方がわからない。ネットで調べると肝臓強化の効果があり、全体的には内臓に良いということくらいで、詳しくは買いてなかった。食べ過ぎると良くないと書いてあったので小さなスプーン一杯ほどを毎日、生で、食べた。すごく苦かったが私は何でも食べるタイプなので、苦痛ではなかった。
二月頃から、ペニスが以前より大きくなり、自然に勃起してることに気づいた。食べた期間は2か月ほどで、心臓のバイパス手術後は性欲も消え、ペニスを刺激しても半立ち、中折れ状態であったがロケットのように真っ直ぐ立っている。ウコンの効果としか考えられず、一日に二度も射精をした日もあり、精液が若い頃のように大量に出るのである。ネットや新聞記事にはウコンの効果の正確なテストはしたことがないと載っているが、テレビではよく宣伝してるらしい。現在、二人の友人に効果を話し、プレゼントしているがまだ一週間にもならないので結果は聞いていない。
バイパス手術をする前にはバイアグラを飲み、確かに効果はあったが、術後の者は絶対に飲んではいけないことになっている。降圧剤は血圧を下げるために血管拡張作用があるが、バイアグラには血管を縮めて血流を良くする作用があり、相反する作用がぶつかって心臓に打撃を与え、停まるかも知れないので禁じられているのである。
ウコンにはそんなことはなく、私に春を復活させた。術後には嫌なことばかりが多かったが、このことは最高の幸福を与えてくれたわけである。ただ、相手がいないことが残念であるが、回春の季節が廻って来たことは何とも言えない。
これはおよそ四十五年前、全共闘運動が盛んな頃、谷川雁と言う詩人がつくり、活動家の間で口にされた箴言である。私の心の中に今でもはっきりと残っているが、憶えている団塊世代は少なくなっている。
時代が大きく変わり、イジメが流行り、自殺する被害者が後を絶たない。他者を孤立させる者が増え、被害者は孤立・疎外に耐えきれず、自殺するのである。小学校時代、明らかに知恵遅れ(これが差別用語であれば撤回します)とわかる生徒が孤立し、イジメられることは無かったし、餓鬼大将がいて、彼は弱い者を守った。障害があって飯を食えない者は乞食になって、道端に座り、どんぶりなどを目前に置いて、金が投げ入れられるのを待ち、それで生活をしていた。今では禁止されているのかそんな光景は見ない。暴力団の善悪を論ずるつもりはないが、働くことが嫌で、嫌がらせや暴力を好む者はその組織に入り、生活をした。世間沙汰にしたくなくて彼らを利用する者や団体がある限り、暴力団が消えることはないし、そのホームページを読んでみれば、任侠道を信念にして日本を守っていると書いている。
どこで、何故、イジメが流行るようになったのか、不思議であり、よくわからないが、資本主義体制との関係が強いと、思う。自然界にはきれいも汚い、死や病気や暴力は悪いという考え、利便性・不便、快適さ不快適さもないのに資本主義はその差異を強く訴え、商品を買わせ、病院・介護施設を利用させようとする。汚さや死、不便さ、不快適さを認める者は(変わり者)として、排除・差別・排他しようとする。
おのずから、そこからイジメが発生し、進行しているのだ。(魔女狩り)に見られるように社会には異端者を排除する傾向があるが、現代のイジメは異常である。
障害者の会の総会で貴重な体験をした。役員になる者がいないので、わたしは副会長の役を頼まれ、なったわけであるが、総会では役員席に座り、来賓席には町長、町議会議長、福岡県障害者の会その役員などが座っていた。会計報告や規約、今年度のイベント予定、役員手当などの話で進み、最後に質疑応答に入った。わたしは会の内部で陰湿なイジメがあったのを知っていた。それを内部の話し合いで解決せず、町の人権委員会に相談し、差別はいけない、と言うパンフレットを作って配布したがイジメは止まなかった。何故、会合を開いて内部で解決しなかったのか!それをわたしは言いたかったのだが、躊躇してしまった。
役員席からそんな質問をして良いものか?という疑問であった。その質問は役員が答えるものだと考え、可逆反応になってしまうと思った。
後日、考えた。俺は権力(正確には運営者であるが)の入り口に立ってしまった。構造そのものが権力である、その入り口なのである。例えば、改革の信念で町長になったとしても同じように囚われてしまい、入り口で先ず闘わなければならないということである。
その野良猫は部落の5、6軒の家を順次回り、餌をもらう暮らしをしているので純粋な野良猫ではない。すっかりなつくと、自ら寄って行って、体を撫でてもらおうとするが、初めての人間の場合はそうではない。遠くからじっと観察し、相手の動きや匂いで正体を探ろうとする。相手が寄ってくると、退き、座って、観察する。さらに寄ってくると、また退き、体を寝せて背中を地面に擦りつけ、乳首の見える腹を向ける。人は自分が誘われていると思って、手を伸ばし、触ろうとする。突然、猫は立ち上がって、その指に噛み付き、去って行く。
その女は亭主を亡くして独り身である。独居老男に食事を作って持って行ってやったり、サプリメントの勧誘をしたり、女友達と食事をしたり、息子、娘、孫の面倒をみたりして大忙しの生活である。結婚相談所のお見合いパーティに行ったり、スナックに入ってママに良い男を紹介してくれと言ったり、いつも男探しをしている。彼女は女友達には、男は出来るだけ長く引っ張るのよ、と言い、男と話をする時には相手の目を優しくじっと見つめ、色気を送る。(あなたって、いい声をしてるのね!私に少し、分けてちょうだい)、(カラオケ教室で、過去ある私で良いの?と歌ったのはあなたに対してだったのよ、わかってるの?この気持ち)などと言って誘いかけ、二度目に会う時にはホテルに行くことにしている。ケチな男は大嫌いである。その男と知り合って、ホテルに行くことになったが、男は金がない、と言い、彼女は幻滅した。嫌いになったのだが、男は燃え始め、しつこく電話をかけて、迫って来た。彼女は警察に相談するのも気が引けて(以前には一度、別な男をストーカーで訴え、警察を介入させt)金貸しの女友達に相談し、暴力団に頼んだ。男に暴力団から電話が行き、男は怖くなって手を引いた。
彼女は数十人の男達と関係を持ったが、いつもすぐに飽き、73歳になっても男の家に入れられることはない。失礼な言い方であるが野良猫と同じように、ごろんと寝ころんで腹を見せ、男達を誘い続けるであろう。
被差別部落の人々を差別する言葉が、(同和)に変えられたがその言葉にも差別感の手垢が付き始め、近頃ではメディアからも消え始めている。もとより、被差別部落とは豊臣秀吉が新しい下層を作り、貧しい農民に自立心と優越意識を与え、彼らから年貢を取り立てやすくするためだった、と聞いたことがある。架空の階層なのであるが、その言葉で差別することにより、自己の劣等感や悩みを相殺するかのように人々は使い始めたが、民主主義の体制の中で消え始めている。それは良いことであるが、近頃では東北大震災の被害にあった人々が差別の生贄にされ始めており、階級制度は残念ながら普遍なのである。
最近、新聞でブス(醜い女)、オトコオンナ(男勝りの女)なども差別用語ではないか、と書いてあった。そうなると、ブオトコ(醜い男)、オカマ、ホモ、レズなども差別用語になり、違う言葉に美容整形されて消えていくのではないか?と思う。
私が入っている障害者の会で、ここには書けないようなイジメがあった。被害者は会長や会に訴えたが問題提起されず、町役場の福祉課に訴え、福祉課は差別、イジメはいけません、と書いたパンフレットを配布することで務めをこなした。が、イジメは止まず、(お互いに助け合う仲間ではないのか!いじめているお前は会を辞めろ!)と言って、私が加害者を会の仲間の前で非難、罵倒した。(その言葉は見逃せない!)会長は私に言った。(福祉課でパンフレットを作ってもらったじゃないか!)彼は言い訳をした。(ではなぜ、いつまでも尾を引いているのか?内部で話し合うべきではなかったのか?)激しいやり取りをしたが、結局、加害者の認知症がひどくなり、パワーダウンしてイジメはなくなった。
この会のように、最近は自助努力はせずに外部団体に出して、トラブルの表面上の処理をすることが多く、後で大事件になることが多い。言葉の美容整形ではなく、本質を訴え、俎上に出すべきである。正論を言わない社会だから、活気がなく、淀んでいるのである。
その日の日曜日は、私が今、入っているカラオケ教室の発表会であった。他のカラオケ会の生徒も含め、130人ほどがステージに立って歌った。私も歌ったが、歌い手へのマイク渡しの係を受け持った。ステージの袖口に立って、歌い終わった人からマイクを返してもらい、次の歌い手へ渡すのであった。
ステージに出る前に肩を叩いて元気づけてやれば良いですよ、と先輩から聞いていたが、ドレスの肩から素肌を剥き出した女の肩を叩くことは躊躇した。(思い切り、肩を叩いて!)と言った女は教室でいつも隣席に座った顔なじみであったが、わたしは叩かずに肩を揉んでやった。すると、それはセクハラよ、とつぶやき、後で彼女は女先生に訊いた。女先生も、セクハラです、と答えた。でも、相手が好きな男であればセクハラとは言わないはずだし、叩くことが快感であるサディストであればそれはセクハラであろう。
どうも、難しい、私の考えすぎかもしれないが。
次の女はいつも男に向かうと、色気たっぷりの笑顔を見せ、30センチほども面と向かって近づく人であった。傍に寄られるだけで、すごく良い気分にさせられるので、胸でも触りたくなってしまうが、そんなことをすればセクハラだと言われるであろう。彼女は誘惑する気はないのであろうが、(負のセクハラ)とでも言うべきもので、(仕掛けている)と私は勝手に考えてしまう。
発表会が終わると、打ち上げのために料亭に行った。30人ほどの女の中で男は5人しかおらず、大人しくウーロン茶を飲んでいた。女たちは酒に酔って、女どうしでダンスをしたり、カラオケで歌ったりし始めた。
私が何気なく振り返り、隣の席に目を向けると、女のスカートの膝の間が目に入った。腰が悪いから、座れず椅子に座っていたのだ。(見たわね!)彼女は言った。私は最初からそんな気はまったくなかったので無視した。しばらく経って舞台の方を見ると、その女が立っていていきなりスカートをめくりあげて、下半身を人目にさらした。酔った勢いであったろうが、その心理には惑わされてしまう。
女の多い職場や集団を受け持たされた男はかなり苦労させられていると思うし、男女共同参画社会というのも道のりは長いであろう。
女は男のセクハラには敏感だが、自分たちのそれには鈍感な部分がある。私が五年前、初めてカラオケ教室に入会した時のことである。老いた女ばかりが15人いる会であった。見学させてもらいに来ました、と言ったわたしは見学後に入会を決め、月謝も払った。先生は男性で、男が入会したことを歓び、将来、有望!と歌ったわたしを誉め、わたしは嬉しくなっていた。ところが陰口が始まっていたことにわたしは気づかなかった。(今まで先生は女歌を選び、皆、二回は歌えていたのにあの男が入ったために先生は男歌を用意し、結局、わたしたちは一回しか歌えなくなったじゃない!あの男を紹介したA子さんと彼はどんな関係があるの?)と言う陰口であった。わたしはそんな言葉を気にしていたら、何も出来やしない、とたかをくくっていた。
ある日、カラオケ会の会長はその職に疲れを覚え、会長の代わりを欲していたが誰もなりてがおらず、わたしに頼んできた。仕方なく引き受けた。役場の一室を借りていたので、三年ごとに申請が必要であった。わたしがカラオケ練習日に行くと、印鑑が必要なので取りに帰ってくれ、と紹介したA子が言った。なぜ、ケイタイに電話を入れなかったんだ?と問うと、そんなことしたら私とあなたの仲が疑われるじゃない、と言う。わたしはバイクに乗って帰宅し、印鑑を持ってきたが、公私混同をするA子に怒っていた。
結局、その会は半年間で辞めた。
次は英会話教室での出来事。ここも女が80パーセントを占めている。英語は音楽を聴いているようなリズムがあって好きだったから入った。授業が終わって女たちが集まっていたので、寄って行った。(何かするの?)一人の女に聞いた。すると、(これから皆で食事をするんだけど、旦那の悪口を言うから・・)つまり、亭主の悪口をしゃべるから男は来ないでくれ、と言ったのであった。それ以来、授業以外は顔を出さないことにした。
他の会でもそれに似たようなことがあった。わたしはこれまで自分も含めて男が女にずいぶんひどいことをしてきたことは知っているし、男女平等の考えは非常に大事なことだと思うが、近頃、男達の元気のなさ、女たちの元気の良さはセクハラの意味をどこか取り違えているのではないかと考える。