ブログ - 20141208のエントリ
5年ほど前、博多の焼き鳥屋で仕事仲間と呑んでいたことがあります。酔っぱらって良い機嫌になって、トイレに行こうと立ち上がった時、隣の席にいた若い女が話しかけてきました。(さっきから聞いていると厭らしいエッチな話ばかりしてますね。不愉快だからこんな所では止めてください)と言うのです。わたしは唖然として言葉が出ず、(そんな話をしてどこが悪いのか!そんな話をするためにココに来てるんじゃないか!)と普通であれば言い返すのですがトラブルになって、NHKという会社の名前が出るのを恐れて黙っていました。
そこで考えるのです。わたしが若い頃は酔っぱらった時には必ず女の話をし、それが当たり前だったのです。どんなふうにしてくどいて落とした(自分のものにする)とか何人の女とやったとかそれは賑やかなものでした。ところが近頃では草食系だとかセックスをしないカップルなどが増え、上記のようなことが起こるのです。
猥褻とは何か?いつから発生したのかを考えました。若い頃に読んだフーコーの(性の歴史)のページを開いてみました。資本主意の発達から猥褻の観念が国家権力によって作られた、と書いてあり目からウロコが落ちました。やはりそうであった。日本文学においても性を取り上げ、問題にするのは近代文学からです。男女の関係を取り上げたのは中世からありますが、大らかな視点からであってエロイとか官能的という視点はありません。
国家権力がタブー視し、規制したのです。刑法の中の(猥褻物陳列罪)なんかが良い例です。
なぜでしょうか?今もしそのことを問えば、みっともなくて人に迷惑を与えるから、と答えるでしょう。繁殖に大事な性器がみっともないのでしょうか?なぜみっともないものとしてみるようになったのか?麻薬がなぜいけないの?と問えば健康に悪いからと答えるでしょう。詭弁なのです。性や麻薬使用に自由を与えると国民が」働かなくなり、資本主義(一生懸命働くことがモットー)に反するからです。権力が(セックスはいけないこと)と規制したがためにそれを破ることの危機感・快感が猥褻感、官能を産むことになり、皮肉な結果になっています。ただ、性産業など資本主義の一環をになうものにはOKを出します。酒やタバコなどの場合にはそのために殺人事件に発展することはありませんが、性の場合にはそれがありえる恐い深さがあるのです。性の世界も性行為そのものや色気、チラリズムなどが商品化され、資本主義の食い物にされていくばかりで、真面目に取り上げることはありません。
一婦一夫制度はなぜあるのでしょうか?一夫多妻になると課税対象が減り、一婦一夫制度のほうがたくさんの税金がとれるからです。すべての判断は資本主義・民主主義に沿ってるものなのかどうかで判断されます。
人工知能が発達しすぎるとロボットが人間にとって変わる、というパーキンス博士のニュースを読んで考えました。日常生活で聞きたいことがあって会社に電話を入れると、これは自動応答システムです、と言ってくる。番号を入れて用件を絞っていくと人工言語で答えてくる、そんな時代になっている。
地球の放射能汚染や大気汚染、土壌汚染などが進み続けても人間は資本主義による欲望誘導に勝てないことははっきりしている。破滅に向かって繁栄していくだけである。そこで環境汚染の中で生き残るのはロボットしかない。創造主は人間のDNAを環境汚染に耐えるものに変えていく、あるいは新人類を発生させるなどの方法を考えてるだろうが、ロボットに地球の管理権をあたえることも視野にいれているにちがいない。
すでに介護ロボットや工場の製造ロボットなどは実現している。ネネルギーはバッテリーで良いのだから、ロボットに太陽光発電や原子力発電のやりかたをプログラミングし、彼らの食料源の確保をさせる。自分で発電工場の設置をさせたり、従来のものを活用するマニュアルをかれらに入力する。人格権を与え、取引も売買も出来るようにする。大変なように思えるがそのシステムが完成すればあとはむずかしくない。次にロボットがロボットを製造・生産するシステムをロボットに考えさせ、実行させる。ロボット人口の数も適切にコントロールさせる。
気宇壮大な話であるが日常生活を見回せばじょじょに進行していることがわかる。