ブログ - 20140619のエントリ

公務員はもう要らない。

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2014-6-19 3:49

 公務員とは理解できない存在である。

 先日、町役場の総務課に行った。除草剤散布禁止を陳情したいからどうすれば良いのか?と女性職員に尋ねた。素案を出していただければこちらで審議して議案にします、という返事でしたので何故すぐに議案にならないのか?ときくと環境保護法などの法律との整合性の判断もあります、と答えたのでわたしも納得しました。

 そこで日頃考えていたことを言ってしまいました。あなたのこの仕事は公務員でなければ出来ないものですか?と聞くと、それは地方公務員法で決まっていますから、と答えたので、それはわかっていますが民間社員でしたほうが安い人件費で出来ますよ。私達は高い税金を払う必要がなくなって助かるのになぜ公務員のような高級取りにさせるのか不思議でならない。課長係長クラスは現在のままにしてあとは法人委託を入札で採用すれば良いではないか?そうすれば人件費は安くてすみ効率も上がり創造力も発揮して職場に活気がでるではないか。

 彼女はわたしの言葉に警戒していました。

 現自民党政府がJAの解体、民営化に二の足を踏んでいるのはJAの組織票への未練があるからだ。組織票とは利権票であり、JA職員の生活・利権がかかっているのだが政府は国のことよりも自分の政権維持のほうが大事なのである。公務員にも自治労という40万人体制があり政府のやりかた次第では票がどの党に転ぶかわからない。だから、官から民へ、と掛け声だけはかけるがなかなか進めない。国鉄がJRになり、電電公社がNTTに民営化してすごく変わった。国民への対応は民間並みになったし、経費削減もし、効率化変革もどんどん進めているのに学校、警察、刑務所、消防署、高速道路道路の民営化はいっこうに進まない。

 わたしのような高齢者であっても化学をもう一度勉強したいと思えば高校に入れるような社会になればこの国は元気がでると思うのだが、変化を望まない政府と国民であれば未来は縮んでいくばかりである。

機械の音には人間的感情がある

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2014-6-19 2:54

 家のすぐ上で電車が走っています。体を動かしたり考えることもない時には電車の音に人間の感情を感じ取ります。先ほどの貨物列車は深夜にゆっくりとすごく慎重な走りを伝えてきました。事故を起こした経験でもあるのか行く先に困難が待ち構えてでもいるかのような慎重さでしたが無事に着けたかどうか考えたりしました。急行列車は勢い良く走って、去ります。まるで少年のようです。旅先が遠い電車はそばの駅を出てゆっくり出、さあ頑張るぞ、と勢いをつけていきます。蒸気機関車がもし走れば蒸気を吐き出し、頑張るぞ!頑張るぞ!とじょじょに力づけながら、時には警笛を鳴らし煙突から煙を吐きながら巨像のように豪快に走ることでしょう。

 それに引き換え、駅そばに道路をつくる工事音は不愉快な雑音ばかりを出します。ヒノキをチェーンソウで切る音は切られる木の悲鳴を伝え、地面を叩くユンボの地響きは地面の鳴き声を伝えてき、破壊されるものたちの怒り、叫び、悲鳴を起こしてわたしに絶えられない気分を与えます。

 機械は特に動いている時には生命体なのです。人間と同じ感情を持っていて喜んだり考えたり悲しんだり嘆いたりしています。かれらを非生命と分類しているのはおかしいです。蒸気機関車のファンがあれだけいるというのは彼らがそれを生命体として見ているからです。

 機械たちもどんな仕事をさせられるかでいろんな感情を出しています。人間達を運ぶ時は楽しく走り、荷物を運ぶ時は大儀そうに走り、木を切ったり地面を削ったりする時は悲しい声をあげます。人間の感情とまったく同じであるのは不思議なことで感情や感性は人間しか持たないという考えは人間の思いあがりしかすぎません。

 

 

森の中は楽しい!

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2014-6-19 2:15

 山の道を毎日歩いています。往復で1時間くらいですが、すっかり嵌ってしまいました。歩いた後の爽快感は素晴らしく体に元気がでているのがわかります。以前は海岸線をサイクリングして良い気分になっていましたが、森にはそれとは違う雰囲気があり、(生命系)という本を読んでその原因がわかりました。ヒノキや竹、マムシ草、ミョウガ、ヤツデなどの植物に囲まれ、マイマイカブリ、ゴミムシ、カエル、鳥、イノシシなどの多様な生物がわたしに時間と空間の広がりと連鎖を伝えてくれるのです。わたしは昔、カエルでもあったのです。地球上の物質から生命が産まれた時、それは一粒か一つのDNAだったのです。それが分岐し系統発生していき、海藻、魚、イモリ、昆虫、植物、哺乳類などに代わり、進化していったのです。太古時代、古生代、中生代などのはるか昔の世界で系統をともにしていた身内たちに囲まれ、わたしという生命が彼らと交感しながら大宴会を開いているのです。言語というツールに頼らず体の元素を反応させながら挨拶をし、(ぼくはまだゴミムシのままだけど君は人間に進化したのだね。楽しいかね?ぼくはゴミ漁りの毎日だけど食べ物にも不自由しないし、空気の良い森の中で一生過ごせて幸福だよ)という言葉が聞こえてきたり、(近頃は人間がまく除草剤でカタツムリが減って困ってるんだ)というマイマイカブリの言葉が聞こえてきたりしてにぎやかです。わたしの生命は昔とかれらの連鎖の線でつながっており、山の中でそびえ立っているヒノキとも親戚なのです。まわりの生き物達すべてがわたしの親戚であるから孤独が癒され、楽しい気分になり宴会から帰宅したような気分になるのです。

 (自然は皆、兄弟だから楽しい!)

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