ブログ - 20140601のエントリ

イジメなければイジメられるという構造

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2014-6-1 8:14

 イジメ事件はあとをたたず、イジメられて自殺する者が多い。老人でなく青少年たちが自殺するのだから、悲惨である。日本は世界一イジメが多く自殺者もそうである、というデータがあるかどうかしらないが事実だと思う。単一民族、単一言語、ほぼ単一宗教、島国だとなれば囲いの中で飼われているサル山に等しい。ここで服装が違う、歩き方がおかしい、肌の色がちがう、愛用してるものがちがうとなれば多民族国家とちがって異質性が目に付き注目されることはまちがいなく、弱者というハンディがつけば格好こ餌食になる。わたしなど普通の人と考え方が違うし激しい性格なのですぐに(変人)というレッテルが張られますが、(レア世界)に改宗(?)したせいで今では(Rare is great!)逆にすごい素晴らしいという境地です。イジめられる人は少数派ですが少数派こそ希少価値がると考えて自分の資質の中に宝石を探しましょう。

 さて40年前の話になります。日産自動車座間工場で自動車組み立ての仕事をしていたわたしは契約期間を終え、相模原高等職業訓練校入学しました。失業保険の給付が継続出来るし自動車の構造を勉強も出来るからです。自動車整備かは一クラスしかなく、ほとんどは大学に入る学力や金がない少年がほとんどでしたが、中には仕事を辞めて技能を学ぶ社会人も4人ほどいました。座学と実習が始まり、学校生活にも慣れてきましたが外部世間の縮図がクラスの中に根を下ろし始めました。

 サトシというデブで頭の悪い少年が目に付いていきました。人なつっこく素直な性格でしたが、試験の成績はいつも最下位で(電車マニア)で、大食いだったのです。授業は黙って聴いていましたが、それが終わると、小田急線の車掌のまねをして、(ロマンス・カー、箱根湯本行きがただいま到着いたしますのでホームにいらっしゃるの方は気をつけてください)となめらかな口調でしゃべり、電車の警笛や走行音のまねをするのです。次はSLになって、蒸気が吹く音を口から出しながら両手を持ち上げ脇のあたりで回しながらクラスの中を駆けるのです。「サトシ!ウルセー!」と誰かが言いました。サトシの高校時代の同級生がいたのでその時代の関係を引きずっていました。サトシは10時頃に弁当を食べ、昼食時間になると弁当を広げている友達を回り、(お手元をおねがいします)と言って、おかずを自分の空の弁当箱の中にいれてもらい食べて回るのです。彼の父親は一流会社の管理職で裕福な家なのにです。サトシは汚ねえ!バカ!などの罵詈雑言を浴びせながらもどこか親しまれている部分がありましたが、二学期頃から悪ガキが彼を叩き、サトシは涙を見せることがありました。

 わたしは無遅刻無欠勤でした。失業保険が入る生活に満足し、自動車の構造や整備に興味をおぼえていましたので成績もトップでした。特にキャブレータの構造には驚嘆しました。坂道を上ったり加速をする時には負圧状態を作って濃い混合気を送る仕組みなど西欧人の精巧な合理的主義には感じいるばかりでした。ただ暴走族も混じったクラスの雰囲気には年齢のちがいもあって打ち解けられないものがあり、かれらもわたしにそれを感じていました。皆が整列している時に隣の生徒がいきなりぶっつかってきて、びっくりして見ると彼は隣の者に目を向けてとなりがぶっつかってきたというポーズを取るのです。最初はなにかあったんだろうと軽く考えていましたが、故意にやっていることがわかってきました。わたしはからかわれていたのです。

 わたしとサトシは非常に親しく、彼をわたしのアパートに呼んでご馳走をつくってやったこともありました。わたしのグループは4人で、3人は高卒で弱弱しくイジメられそうな仲間でした。

 ある日、決定的な出来事が起こりました。夏の暑い日でした。昼休みの時間で、生徒達はグランドに出て寝そべったり休んだりしていました。サトシはその中にいて、(電車ゴッコ)をしていました。シュシュポポ、と言いながら人垣の中を走り回っていました。サトシ!ウルサイ!の声にもかまわず、夢中になっていたのです。身長が180センチもありサッカーのうまいOが立ち上がりました。顔もいかつく見るからに暴走族タイプの男です。彼は、ウルセーって言ってるだろう!というと体を捻り、回し蹴りをサトシの腹にぶち込んだのです。ボーンと太鼓を叩くような音が響き、サトシは倒れました。

 皆、見ているだけで、サトシに駆け寄る者はいませんでした。

 サトシは倒れたままでした。

 指導員(教員)たちもイジメのことは知っていましたが注意することもなく、逆に悪ガキの機嫌をとる雰囲気がありました。倒れたサトシを見て、わたしに憤りが起こりました。一撃必殺の空手の心得はある自分はOにタイマンを張るべきではないか!

 ところがわたしは皆と同じように傍観するだけでした。

 サトシはしばらくして立ち上がり、クラスの授業に戻っていきました。

 一ヵ月後にサトシは退学しました。

 その後、彼とは無縁でした。

 二年後に小田急線の電車の中でサトシに会いました。友達と二人で座席に座っていて元気そうでした。自動車メーカーの現場で働いていると言いましたが、わたしを懐かしがる気配はありませんでした。

 この出来事を今でも思い出します。

 イジメはいつの時代にもどこにでもある。動物界にもある。鶏小屋に新入りの鶏を入れると古参の鶏が新入りを突き、殺されることもある。集団の防衛本能とでも言うべきだろうか?

 わたしがその訓練校で年下の少年にからかわれた頃、もう一人の社会人の男もそんな目にあいはじめたのです。同時に私自身がサトシをからかい、悪ガキに同調する素振りを見せたのです。そこに(イジメなければイジメられる)構造を感じ取るのです。多くのイジメ自殺事件で関係者が自殺を食い止められないのはそこに原因があることに気づくべきでしょう。傍観者はイジメているのと同じです。

 

 

 

 

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