ブログ - 20130715のエントリ
今、畑にはキュウリ、トマト、スイカ、トウモロコシ、ナス、ピーマン、トウガラシ、えんどうまめ、オクラと盛りだくさん結実していますが、他の畑はヤブガラシやセイダカアダチソウに侵略されてどうしようもない状態です。植えてたはずのものが消えてしまっているのです。さて、どうしたものか?と思案します。まずそれらの雑草をカマで切り、その畑に肥料として埋め込む。次に黒いビニールで覆い、雑草のはびこるのを防ぐ。しばらく休耕田にするか何かを植える。その前に落葉を埋め込み、分解するのを待ち、見通しがついたら種ではなく、苗を植える。種は落葉の中では育たないが粉末になった落葉の堆肥の中では育つ。種ものはどうするか?箱やポットの中に蒔いて苗になるまで待つ。それから落ち葉や枯れ草の分解した畑に黒いビニールを敷いて定植する。大根のように雑草と同じく育ちのいいものはビニールを敷かずに種をそのまま畑にまく。
堆肥づくりがむずかしいのですが、木枠で囲った中に生ゴミ、雑草、落ち葉など自然分解するものをいれておくのです。生ゴミは底に入れてむき出しにならないようにします。
その流れで無農薬、無肥料の畑を作ります。鶏糞や化学肥料などを畑に入れていたので虫や雑草が繁殖していたのです。枯葉では繁殖は低くなるはずです。
客を招いて広い庭の散策をしていただき、庭でかれらに収穫してもらってその場で調理し、食べていただく。創作料理をわたしがつくる。
以上のことを夢見ています。
これからも七百坪の土地で楽しい悪戦苦闘が始まりますが、ぜひ皆さんを招待したいものです。
このテーマは1970年代、つまり全共闘運動や反戦運動が盛んな頃に一時マスコミで取り上げられたものですが、わたしの文学活動において自分が狙っているものだと近頃気づいて改めて確認したくなりました。もともと芸術活動はリピドー(生ー性衝動)にもとづいてうまれ、昇華されて多彩な色彩を帯びていき、素晴らしい作品がつぎつぎに世に出て行き鑑賞者を興奮させ悦ばせるわけですが、リピドーそのものたとえば(性愛の技)そのものがテーマと重なることはありません。三島由紀夫の傑作(仮面の告白)だって文学性はすごく高いものの、(性愛の技)の部分は省略され、そのことによって芸術性を貫いています。作家にとって(性愛の技)の部分を取り上げることはエロ小説になるあるいはされる可能性が高く、どうしても引いてしまいがちです。
作品(銀ラメのハイヒール)も性愛の世界を哲学にまで昇華させたい狙いがありながら、(途中からエロ小説になってしまっている)と批判されました。わたしはそれを認めます。
そのことを反省したうえで、作家の名声をえた者がしり込みしてる分野に挑戦します。現在、執筆をはじめた(隣の女)です。(性愛の技)の部分はどうしても手垢のついた下ネタ話になりがちですが、そこに人間の真実が潜んでいます。