ブログ - 20120222のエントリ
15年ほど前に女とラブ・ホテルに入りました。その時、彼女がつぶやいた言葉がこのタイトルなのです。今頃になって、その言葉が時々想い浮かんでくるのです。彼女は40歳にちかい主婦で、息子の大学進学や亭主の仕事のことで悩んでいたようでしたが、セックスをする時にすべてを忘れることができたのです。出会い系サイトで知り合い、一度だけの出会いでした。
若ければ集中力もあるし、何かに夢中になる時間はいくらでもありますが、年齢を重ねていくうちに(すべてを忘れることの出来る時間)は短くなっていきます。けれどもその時間を持っている者が本当の幸せ者なのです。金があるとか無いとか、地位や名誉やその他常識的な優位性を度外視して、その時間を持っているかいないかで幸福度がきまるとすればこれこそ真の平等性なのです。
私にとってすべてを忘れることの出来る時間はいくつか残されています。今であれば道路わきの温度計が0度を点滅させてる、その中をバイクで帰宅する時、ほとんどすべてを忘れています。一時間ちかくもすべてを忘れて走りつづけます。(寒くて大変でしょう?)といわれたり、後に(バイクで一時間も走って大変なのですよ)と自分で言ったりしますが、まったくすべてを忘れている時間なのです。その時間に対してなんの言葉もいりません。