ブログ - 20120206のエントリ

喜捨、という言葉

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2012-2-6 23:51

もとより私は物欲の強い、灰汁の強い男なのですが何年か前から(喜捨)という言葉に魅力を覚えるようになりました。そんな自分が改心をしたとか立派とかいうのではなく自然にそうなったのです。仏教用語であることくらいはわかりますし、それは仏に喜捨することから発生した言葉でしょうが、わたしの捉え方は自然界や社会に喜んで自己を捨てる、ということなのです。

資本主義は欲望を根源にしていて上記の考えとは正反対ですし、喜捨の精神がまかりとおれば資本主義は成立しないわけです。しかし、もし若い頃から自分が喜捨と言う言葉に関心を持ち、生き方もそれにそっていればもう少しは楽な生き方になったのではと後悔するのです。

(馬車馬のように働いて得たものは破壊された自然と空虚な心)

このキャッチ・コピーは40年前に耳にしたものですが、3・11震災以降つよくよみがえる観がします。強く生きながら、他方では(喜捨)の心を持つ、一見矛盾しますが強い者は喜捨の余裕があるのだと考えます。

(損して得とる)という言葉もあります。

就職することより生きる姿勢を身につけよ

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2012-2-6 23:04

新聞やテレビは大学卒、高校卒の就職率を数値化して公表する。それ以外の観点はないのか?と、わたしはいつも首をかしげる。

わたしは自分が入った大学を卒業してるのかしてないのかわからないのです。大卒でなければ勤まらない職についたことはないし、もともと正社員として入社したことは一回しかなかった。卒業して臨時雇いの仕事をしながら、大学にかってにもどって講義を聴いていたこともあった。つまり、就職することよりも自分の生き方、社会、世界、人間、自分自身への好奇心と興味があり、研究の対象であったから、どんな仕事でも生き方でも良かったのです。

このことを知人に話すと、(やはり、レアですね)と言って笑い、わたしも満足した。就職出来ない人やヒキコモリ、ニートの先端をわたしは行っていたのでしょうが後悔はないし、満足です。多くの人が世俗の代表であるマスコミに引っ張られていることは情けないし気の毒だと思う。新聞は紙面に人物を紹介するときに何故学歴を出すのでしょうかねえ。それにどんな意味があるのでしょうか?学歴信仰のご本尊みたいなことはそろそろ止めてもらいませんか!

こんな俺の人生にとやかく言われる筋合いはない!やりたいことをやってきた。

就職できない人がいたら、そう言って胸を張ろうじゃあありませんか!

棺桶に片足をつっこんで

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2012-2-6 22:34

(棺桶に片足をつっこんでるのにいつまでそんな集金の仕事をするつもりか!)

とレア仲間から叱咤を受けました。驚きながらそんな目で自分をみてくれていたのかと、有難くもなりました。確かにそのとおりです。道路上の温度計が0度を現してる中、50分もバイクで走り続けるわけですからね。心臓の一本の血管は風船治療をして逆に血管がせばまり、もう一本はステントを入れたがおもわしくない、(2月まではだいじょうぶでしょう)と手術をした医者に言われ(それから先はどうなるの?)と聞き忘れてました。

自分の自覚では体調は悪くないし、仕事を辞めてもなんとか食っていけないわけではないのです。野菜作りをし、家を人に貸せば飯は食っていけるわけですがそうはしたくない。命の次に大事なお金をもらうという真剣勝負、ノルマの圧力、これらに対する反作用が自己の内部から起こってエネルギーを強める、そのエネルギーで生きる、被写体を探し画像を撮る、小説を書く、この原動力を失いたくはないのです。

棺桶に片足をつっこんだまま走り続けます。

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