ブログ - 最新エントリー

性の哲学5破壊と創造

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2026-6-26 7:28

  テレビが故障しているが、買い替える金がない。スマフォでユウーチューブを見るようになった。いろんなジャンルの投稿が掲載され、面白く、毎日観ている。今は、未解決事件を観ているが、被害者たちには申し訳ないが面白い。犯人が捕まらないことが想像力を膨らませ、犯人あてなど考えるとさらに面白いのである。一番興味があるのはワラビ採り殺人事件である。興味があるのは加害者がワラビ採りをしていた二人の主婦をレイプして殴打または包丁で何十か所もめった刺しにしていることである。さらに逃亡しないように二人の主婦のアキレスけんを切っていることである。

 加害者は一人だったのか?二人だったのか?わからない。指紋も体液も残っているが五十年たっても特定できず、警察が何らかの理由で闇に葬っているのではないか?という噂もある。

 興味があるのは加害者が性交して殺しているということだ。または殺して性交して殺したのか?顔を見られたから殺したのだろうか?二人の主婦は同じスーパーで働く友達で、もう一人参加するつもりであったが用事が出来て参加できなかった。ところが、五年後に彼女の家が放火され、暴行殺害されているのである。

 レイプ殺人は時々起こっているが、性と愛が一つであればそんなことは起こらない。そんな犯罪をする加害者の無意識世界はどんなことが起こるのか興味がある。

 自分も若いころ、性欲が強すぎたころには女を無理にねじ伏せたことがあった。事件にはならなかったが、振り返れば怖いことである。

 暴行殺人は破壊であり、性交は射精しての創造である。対立するはずの二つのエネルギーが同時に行われる。そのことをどのようにに理解すればいいのであろうか?既成概念では説明できない。

 矛盾対立するものがシュレーディンガーの猫のように重なり合っていると解釈すべきではないか?この世には愛と憎しみ、金持ちと貧乏、美と醜、神とサタンなどいろんな対立物が共存している。それらは相手を存在させるための構造ではないか?そして、両者は決してなくならないし、永遠に存在し続けるのである。

性の哲学4愛と性の重なり合い

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2026-6-21 7:38

  セックスは愛から生じるのか?どうなのか?と考える時、その答えははっきりとは出てこない、と思う。私の経験に照らし合わせてみるといろんなことが考えられる。わたしの世代は昭和であるが、歌謡曲も含めて純粋な愛から性が生じるというのが一般的であり、自分もそのように考えていたが、79歳の今は全く異なり、愛と性とは無関係であり、両者は入り混じって、あるいは平行宇宙の関係であるという結論に達した。愛していなくても異性は抱けるし、愛していればそれだけで満足し、性に至らなくても幸福な時がある。愛していて両方が良ければそれは最高であろう。若いころ、そんな体験をしたことがあった。エンドレスの性であった。男と女はいっしょに逝くのが一番良いのであるが、彼女は興奮しても決して行かないのであった。逝けばセックスは終わりになる。愛の言葉をつぶやきながら、女性器で私を強く抱きしめながら、何時間でも逝かなかったし、わたしも逝かず、一晩中まじわったのである。

 結局、二人は結ばれなかったが、あれは初めての愛であり、最高の性であったことがわかる。でも、良く考察してみると、あの行為は愛でもあり、セックスでもあったのだ。シュレーディンガーの猫の考察にあるように両者は重なり合いの状況であったのだ。

性の哲学3肛門性交

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2026-6-20 13:46

  わたしは一度、ある女とホテルで肛門性交をしたことがある。浴室で女の体を背後から洗いながら、彼女の肛門を石鹸でこすり、背後から挿入した。膣とはちがう摩擦感があって気持ちよかったが、彼女に、気持ちいい?と聞くと返事をしなかったので止めた。いまふと考えてみると、肛門の穴の大きさはペニスが入るのに良いサイズであり、それは挿入されることを前提にしているのではないか?ということである。これは両性具有ではないか?とも考える。また、胎児には性別はなく、ある期間が経って初めて、雌雄がはっきりし、子宮やペニスが出来上がっていく。

 これはシュレーディンガーの猫における、生きてもいる死んでもいるという世界であるし、この原理はいろんな世界の考え方を変えることができるのである。愛しているか?憎んでいるか?善なのか悪なのか?神かサタンか?などの疑問も両者でありうるということになる。今の時代のような二項対立ではなく両者混交なのである。それはこれまでのパソコンの原理のように、1か0、の組み合わせに、1でもあるし0でもあるという新しいジャンルができたのである。

性の哲学2反転対称形

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2026-6-20 7:30

  男性器も女性器も素晴らしい生命体であり、まさに神の作品と呼ぶべきものである。神が味付けと味の感覚を生物に与えて、おいしいものをたくさん食べなさい、といっているように幸福を与えてくれたのである。その二つの生命体はほかの器物がそうであるように相手によって変化し進化していくのである。結婚で結ばれた男女、長い交際の男女は性器の当たり具合によって快楽を更新し、改善しあって性の頂点を目指していくことを知るようになる。男性器と女性器は全く違う形のように見えながら、実はまったく同じなのである。カギと鍵穴の関係にあるように、反転して見ればまったく同じであることがわかる。それは相手に合わせて変化していき、最後はぴったりはまり、抜けなくなるほどの結合を産む。こすりあわなくてもただ入れているだけで次から次へ快楽が押し寄せ、絶頂に至るのである。ここまでくると、二人は精神的なトラブルがあっても別れようにも別れられなくなる。

 だが、ここまで行くには努力が要る。男性は女が望むときに射精し、二人が同時にいかなければならない。射精しそうになったら、嫌な奴の顔を思い浮かべて射精を遠ざけるのである。

性の哲学1総論

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2026-6-19 10:48

  このタイトルで書いてみようと急に思い立った。性とは微妙で複雑で女性の性器と同じく魅力がありすぎる。欧米人が性的に興奮して、オーマイゴッド、というのはそれが神に近い深淵さを持っているからである。

  量子力学に登場するシュレディンガーの猫、その思考・思想が私に初めて知的な興奮を与えてくれてほぼ二十年が経つが、いまだに好奇心を深めているし量子コンプーターも本格的な生産に入るようである。これで世界は思想哲学革命を起こされ、人間の思考の仕方そのものが変化するはずである。毒ガスの入った箱の中に猫が入っているが、生きているか?死んでいるかと問われ、生きてもいるし死んでもいるという量子力学の答えである、今でもこの答えは謎めいていて、考えさせられるのである。

 では、わたしは世間一般的には男であるが、本当に男なのであろうか?と考えると、結論から言えば、男でもあるし女でもあるという答えになる。ペニスと肛門の間には、蟻の戸渡りという縫合の跡らしき部分があり、そこは女の膣の入り口であったが、男にするために子宮を睾丸に変え、クリトリスをペニスに変えたという話である。つまり、男や女はいなくて両性具有であった。聖書に神は男のあばら骨を取って女にしたという箇所があるがうなずけるし、両性具有の前は単細胞でコピーで増殖くていたのである。競争はなく、平和に暮らしていたが、それでは活力が出ない。だから雌雄を作って競争原理を、神が、導入した。多様な生命が生まれ、人類は発展し、文明を作って生物の頂点に達したのである。

 

そのままけっこう

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2026-6-14 8:22

  昨日、ユウーチューブからメールが来て、コメントに投稿したこの句が高評価をうけていると伝えて来た。その半年前には、なにゆえに地を見て咲くや枝垂れ梅、という俳句に同様のメールが来ていた。これまで、小説なども文学賞に応募したことがあったが、一次予選に二度、通っただけであった。

 この言葉はすべて書くと、そのままけっこうすべて引き受けてやれば良い、という言葉であるが、五十年前に短編小説として同人誌に掲載していた。何の評価も受けなかったが、わたしはこの言葉が好きであった。何かの小冊子で読んだことはあったが、当時の自分の悩みや苦しみを少しは慰めてくれたのである。定職が見つからない、金がなくなっていく、ドモリも治らない、女もできない、など背負いきれないくらいの苦しみを今同様来あ変えていたが、今になってその言葉が現れるなんて奇縁といえば奇縁である。

 七十九歳になってこの言葉を反芻してみると、なあにい、あと数年の命ではないか?貧乏、歩けなくなる不安、一人ぽっち、何もできなかった後悔、などすべて引き受けなくても、死ねば消えるのである。

イラン戦諸行無常の極みなり

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2026-6-12 8:34

  アメリカが停戦交渉を打ち切り、イランに軍事攻撃をして、良い結果を勝ち取ろうということになった。イラン戦が始まって良い交渉がまとまることを願い、トランプも七十回近くも良い結果が出ると言いながらこのありさまである。石油の供給不足で世界経済が崩壊するかもしれないという中で、これが先進国そして人間たちの低能ぶりである。

 戦争は憎しみが支えであり、憎しみから生まれる。中近東はいろんな宗教や民族が入り混じり、昔からv火薬庫と言われていたが、何千年たってもこの状況は全く変わらない。言い換えれば憎しみに支えられて生きてきたと言っても過言ではない。仏教の盛んなアジア系には見られない現象である。

 自分は教会に十年近く通い、聖書を読み、賛美歌を歌い、説教を聞いてきた。ある時、牧師にこう言ってみた。(先生、わたしはこれまで教えに励んできましたが、自分自身が全く変わらないらないことに気づいたのですが・・・・?)

 すると、五十歳の牧師は、

わたしも変わらないのです、

と答えた。

 自分は少しがっかりしながら、やはりそうだったか?と思い返した。

 八十歳になりかけた今でも、ささいな感情で人を嫌がり、憎むことがあるし、それがいつまでも尾を引くことがある。これが生活に関係し、食う物にかかわれば、喧嘩、戦争に発展するのである。ということは人間はいつも火薬庫を胸の中に隠しているということなのである。

 

崖に立ち谷底眺む余命かな

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2026-6-9 7:34

  昭和の高度成長期をのぞいて、いつの時代も不安で迷いが多かったが、ウクライナ戦争が始まった現代はなんとも形容できないほど怖く、おびえている。毎朝、ニュースでイラン戦争の状況とニューヨークの株式市場の動きを見るが、わずかな貯えが消えていくのを知るだけである。余命が減っていくだから、もう少しでこの世は終わりであるが、子育ての最中の若者、これから社会に出る若者たちはこの状況にどうやって向き合っているのか?心配になる。

 今の世のどこが間違っているのか詮索すればきりがないが、まず大きな部分として、人間の(徳)が消えて行ってるということである。先日、ユウチュウブに、AIが犯罪を考え、商品にして売る、既に売っているという記事を見かけたが、大いに考えさせられた。そのビジネスは繁盛しているであろう。が、それは利益ばかり追求して、そのビジネスが社会的にどうなるのか?ということをAiは考えきらない。AIの芸術や、歌手は出現できず、一方向の視点しか持っていない。真逆の発想なんて持つことは不可能である。

 (勝つことばかり知りて負けることを知らざれば害その身にいたる)

  これは徳川家康の言葉である。

 トランプやプーチンがこの言葉の意味を少しでも考えきれば、世の中は少しは変わるであろう。

 

 

花落とし実を出すナスの命かな

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2026-6-2 7:17

  歳老いて愚痴ばかり増え、ここに日記を書く気も衰えてきた。先週も週に一度の弁当配りをしてきた。玄関に立って呼ぶがなかなか返事がなく、待っているとやっと物音がして、老婆は起き上がってきた。布団に寝ていて起き上がるのに手間取ったのがわかった。いつものように笑顔を見せて、弁当を受け取り、350円の金を払った。自分はその有様に数年先の自分を見ながら、そのうち、家の中に上がって、布団のそばまで行って手渡すようになるかもしれないと考えた。その頃には自分は歩けなくなっているかもしれない。

 (自然)、も衰えてきた。今年は竹の子が三本しか取れず、ハチクやマタケは全く姿を出さなかった。今は梅のシーズンなのだが実はほとんど付けていおらず、ビワは病気にかかり、一個が150円の値段になっている。自分で食べるだけの野菜作りをしているが、育ちが悪い。ナスには毎日、水をやっている。ある時、咲いていた花が二つとも、落ちたので、これもダメか?と驚いていたが、花を落として実をつけることがわかった。せめてもの救いであろう。

レアとは何か?

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2026-5-12 7:11

  このホームページを立ち上げて、ほぼ二十年になり、わたしも七十九歳になった。人から変り者と言われ、それにコンプレックスを持っていたが、ある時、少数であることは価値のあることではないか?と、気づきレアという言葉と結びついた。今ではレアという言葉も、レアもの、と呼ばれかなり普及してきたがまだ差別され、遠ざけられる傾向があり、今でも私は、変り者、変人と呼ばれることがある。同時に、そのことを恥じている人々もいるのである。

 ビジネスでも学問でも、スポーツでもあらゆる分野において、芽を出し、勢いを持って行くのはレアであるがまだ認識されておらず、既成のルールや元年に支配され、真実が遠ざけられている。この前、ある町会議員から、議会で座る場所は決められていて、年齢の順や在籍が基準んである、ということを耳にした。その仕組みが権力になり、町政の変革や改善はできないことになっているのである。わたしは教会の日曜礼拝に通っているがそこでも座る場所が指定されている。神とは異なる考えを口に出すことはタブーなのであるので、ある時、説教の話をしてくれと言われたことがあったが、自分が口に出すことを考えると聖壇に立つ気にななれなかった。そこで自分がしゃべる時は、神を捨てる時である。神が命を作った、という創世記の箇所は信じているが、そのほかは文章が長ったらしくて読む気にならないのである。

 

ログイン
ユーザー名:

パスワード:


パスワード紛失

ブログ カレンダー
« « 2026 6月 » »
31 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 1 2 3 4
アクセスカウンター
2026/06/29:13/96
2026/06/28:111/695

2026/05/30より3131/14779