ブログ - 202106のエントリ

教育とは何か?

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2021-6-2 8:00

  ヤングケアラーとか孤独省(?)とか、わけのわからない言葉が新聞に出始めて、頭が混乱しそうであるが、教育とは何か?というテーマにぶつかり、筆をとらざるを得なくなった。NHK営業・受信料の仕事をしていた時、福岡教育大学の学生たちを回っていたが、教育とは何だと思いますか?教育原論という課目がありますか?などと聞いたこともあった。学生から答えは返って来なかったが、自分なりに、教育とはどのようにして生きるかを学ぶ学問である、と考えていた。それには食べる物が必要であり、健康であることが必要であり、文字を読んだり、計算ができることも必要である、と考えていたが、そんなことは教育大学のテキストにはないにちがいない。飢えなど経験をしたことのない官僚たちがつくる教育であるから、そうなってしまう。

 わたしは教育ママに育てられ、有名進学中学校に、毎日、二時間かけて通った。小学校の時はまちがって、神童などと呼ばれたわたしは進学中学校で地獄に落とされた。生徒数百三十人の中で百番の成績になり、自分の頭の悪さを証明された。いくら頑張っても成績はそれ以上伸びず、劣等感の塊になってしまった。

 学歴信仰は衰えることを知らない。人を評価する価値基準は他になく、学歴は独裁的な権力を持ち、ほぼ全世界で人々を支配している。

 ほかに価値基準を持たない、ということが問題なのである。まれに学歴がなくても出世する者はいるが非常に少なく、学校産業、学閥、教員業、受験産業が幅を利かせ、独占・支配している。

 ヤングケアラーを例にとれば、そんなことに国家がなぜ口をはさむかと言うことである!病気がちな父母や祖父のめんどうをみることにどこに、問題があるのか?そこで思いやりや愛情や生きる知恵が育つことが政治家や官僚にはわからないのであろうか、それを評価する姿勢がなぜないのか?課目に取り込んで評価してやれば良いじゃないか?一流大学を出た連中が実権を握ってるからこんなことになってしまう。こんな人々に教育を任せるわけにはいかない。とんでもない人間が育ち、現に育っているのである。

 また、孤独であることがいけないことなのであろうか?孤独が生み出すものは多いし、鍛えられる者もいるのである。

 それに、メディアはなぜ、教育の方向性に批判を加えないのであろうか?

 こんなことより、もっと差し迫った大事なことはいくらでもあるのである。税金の無駄使いはいい加減に止めてもらいたい。

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