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ブログ - 日記カテゴリのエントリ

人間社会の磁場。

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日記
執筆 : 
nakamura 2015-6-27 9:46

 昨日の基礎物理学講座で(磁場)ということを習った。以前から私は磁場という言葉、その理論に興味を持ち、小説でも(磁場)というタイトルの作品を書いたことがあったので、その講義に目を覚まされた。地球の内部は鉄を多く含み、地球自体が磁石である。方位計で針が指すのは地球のS極、N極に針が引き付けられているからである。人間も磁極を持ち、その社会も磁場を持っていて、磁力に左右されている。引き付けあい、反発しあい、反応なしなどいろんな状況が発生する。男女の関係も磁力線によるものであろう。

 教授はこんなことを言った。地球の北極、南極は十万年間隔で逆転する。恐竜が絶滅したのはその異変による氷河期の発生にある。ということは十万年後には、一度、地球上の生物が人類も含め、絶滅するということである。地球全体が初期化され、新しく出発することになるのであろう、と私は考える。

 もう一つの発見。

 磁石をいくら細かく切断しても、S極、N極の性質を消すことは出来ない。ここでわたしは人間社会、国家、集団の内部構造・秩序も消したり変えたりは出来ない、と結論づけた。外部に対してもそうであり、相似形になっているに過ぎない。

 基礎物理学講座を聴くことで、自分の考えの再確認、新しい発見が出来ている。

私たちにも引力がある。

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日記
執筆 : 
nakamura 2015-6-21 21:47

 基礎物理学講座には三角関数、不等式、微積分などが出てきて、自分が高校時代に学んだことをだいぶ忘れていることに気づき、理解できないことがあるが、哲学的な観点で聞いているわたしには発見させられることが多い。地球は引力を持っているから、地球上のすべての物にはその力が及び引力をもっている、と言う講師の言葉に、なるほど、とうなずかされた。街中や電車の中、いやどこででも人や動物を見かけるとすぐに目を向けるのは(引力のせいだ)と考えると、なんだか不思議なきもちになる。気持ちや関心が動かされるからと思っていたが、引力のせいだと言ってしまえば単純に理解できる。心や気持ちなど精神というものを持ち出すことでいろんなことで誤解や偏見が多く生じていたが、物理化学的な法則・原理を引っ張り出すことで紆余曲折、遠回りから解放される時代がくるにちがいない。人間嫌いで孤立した生活を送っている人もいるが、その人は(負の引力)を持っており、度数で数値化すれば面白い結果がでるにちがいない。

 物理化学的な視点・言語で書かれた小説に挑戦してみたい。(はめ込まれた凸と凹が激しい摩擦運動をしている。熱を生み、燃焼し、頂点へ向かって伸び上がり、楕円の波形を描いていった)などという表現はどうであろうか?

静電誘導における人間・社会関係

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日記
執筆 : 
nakamura 2015-6-20 1:06

 金属に帯電物体を近づけると変化が起こる。帯電物に近い部分には異符号の電荷が現われ,離れた部分には同符号の電荷が現われる。これは静電誘導という原理である。符号を+、?と置き変えて良い。両方のそれぞれの総和は等しい。

 ある集団が発生した場合、攻撃的なタイプの前に現われる者は必ず異符号の電荷を帯び、防衛に回り攻撃に常にさらされる。刃向かうことはない。これがイジメである。刃向かえばショートし、やられる。攻撃する側がは事前に力の差を知ってるから寄っていくのである。イジメル者といじめられる者はその場から離れれば良いものを必ず同系列の中におさまってしまう物だし、その磁場から離れた集団に移動してももその構図は出来上がって」しまう。物質世界の論理と同じでそれが集団の秩序を保つことになる。働かない蟻の2割を除去しても働き蟻の2割が働かなくなるという構造と同じである。秩序が平衡を保とうする真理はそこにあり、物質レベルの真理であるから否定はできない。異性同士が引かれあう場合も、男の場合だと混合していたホルモンの中で男性ホルモンが女性のそばの体に多く集まり、女性の場合だと女性ホルモンが集まり、両者が引き付けあい結びつこうとする。ただし、両者の体の元素構造が引き付けあう物であることが条件である。キリスト教とイスラム教が古代から現代まで戦争をし続けるのはどちらもが一神教であり、+と+、?と?という同符号が向き合うからである。

発達障害とは何か?

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日記
執筆 : 
nakamura 2015-6-18 11:43

 発達障害は4,5十年前までは精神的未熟と呼ばれていたが、何故障害者と名付けられたのかわからない。障害者として区別し、度数をもうけることで度合いを判断し、社会保障をつけて援助し、国家への反乱者になることを防ぐためであろう。

 わたしも若い頃は発達障害者であった。東京のラーメン屋でバイトをしていた時に、客に冷えたご飯を出してしまい、あんたを大人として見て良いのか、子供として見て良いの、かわからない、と店主に言われたことがあるし、それに似たことはたくさんあった。母親が過保護で過干渉だったことが原因だが、68歳の今でも発達障害者であるかもしれないし、それはそれで良いし、世間の秩序に従った言動をとることなどは俳優ほどの技量を必要ともしないものだ。

 身の回りには発達障害者や認知症患者が増えている。周りの者に迷惑をかけるし、マスコミにも絶えず報道されている。わたしは自己分析も含めて彼らの肉体的(=精神的)に理解出来るようになった。彼らに共通しているのは身勝手、自己中心的であるということだ。以前であれば人間性とか人格という言葉で取り上げられたが、彼らはそれらの言葉を理解できなかったし、効果も出なかった。

 人間機械論、という考え方があるが、彼らの脳の一部が故障し、回路が出来ていないか故障していて電気信号が送られないのである。そこで精神的未熟だとか人間性が悪いなどと言ったところでまったく効果はない。回路を修理するか物質を補給して、相手の立場に立って考えられるように修理するしかない。やがて、そんな時代が来る。

戦争は何故起こるか?

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日記
執筆 : 
nakamura 2015-6-18 9:01

 人が三人集まれば派閥が出来る、という話を聞いたことがある。

 私の人生経験を照らしても組織や秩序には平衡状態があると思う。人間関係においても対外的な関係においてもそれは覆せないし、ヤジロベエのように平衡状態を保とうとする力学がある。普遍的な真理である。まず、ボス(統率者)が出来る、パシリ(指示されたとおりに動く者)という従者、運営や理念に無関心な者、反抗者、イジメル者、イジメラレル者などの差異が出来て自然な釣り合いがとれ、秩序が出来ていく。

 組織が外部の団体によって崩されようとすると、一丸となって闘う。組織の利益・防衛のためにも戦う、これが内乱、戦争である。日本が太平洋戦争後、戦争を70年間もしない、ドイツもそうであるのは戦争の被害や加害が大きすぎて、その反動が出たにすぎない。山高ければ谷深し、である。その位置エネルギーと波形を探れば戦争の周期が数式化できるはずである。戦争はある意味で平衡力を保つために生じるのである。

 組織の化学式がH2SO4(数字は小文字です)みたいに現され、崩壊と再生の数式化も出来るはずである。次の崩壊はいつになるであろうか?

 

三ヶ月も腐らない店頭キャベツ。

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日記
執筆 : 
nakamura 2015-6-17 7:51

 恐いことを発見させられた。

 その前にはこんな事情があった。掘った竹の子を糠で湯がいて、水洗いし、産直の店に出した。よく売れたが2件のクレームが発生した。お客さんからナメクジが竹の子に入っていたということで、店長から気をつけるように言われ、了解して袋詰めする時に何度も点検した。一週間後にまた同じクレームが出た。おどろいて水洗いした竹の子を置いたザルの裏を見ると、小さなナメクジがすごい速さで草の中から竹の子をめがけて進んでいるではないか!彼らの動きは遅いと信じていたわたしはまたおどろいた。かれらは竹の子の表面ではなく、中の潜り込み、包丁を入れたお客さんが発見したのだ。

 野菜作りをしてたらナメクジなんてしょっちゅう出るよ、という返事の人が多かったが、自分が買った立場に立てばどんな山で採れたかもわからないから、厭な気分になる。自分の山や畑の場合だと環境破壊がないことを知っているから気にはしないが。

 3ヶ月前に遠賀町のルミエール(安売りで人気がある)で、国産と表示されたキャベツを100円で買った。ずいぶん安いし、こんな寒い時期に出来るのか?と思いながらも帰宅して、半分に切ろうとして包丁を入れた。硬すぎて刃が立たない。仕方なく、庭に捨てた。

 竹の子のクレームを思い出して、庭のキャベツを見た。表面が少し、虫に食われていたが元の形でそのまま捨てられていて、腐ってもいないのだ!

 虫も食わない、腐りもしないキャベツにはどんな防腐剤、防虫剤が入っていたのか?想像するだけで恐ろしい!

 蟻の世界にも働かない者が2割いて、それらを排除しても残りの8割が働かなくなると言う法則はいろんな分野にあてはまる。国や地方自治においてもあてはまると私は考えるし、いずれ方程式が考え出されるであろう。民主主義(多数派独裁政治)において、私達は支配されているという意識をすっかり奪われていて、奪われているという考え方さえ出来なくなっている。産まれた時から、テレビやネットで資本主義・多数派独裁政治の思想に洗脳され、小学校に入ってからは文部科学省選定の教科書によって追い討ちをかけられ、その思想の信仰者に仕立て上げられている。ほとんどの者はそのことに気づかないし、うすうす気づいたとしても異議申し立ては出来ないし、実行すれば(あなたは民主主義を否定するのですか!)と言われて村八分にされ、就職もむずかしくなる。

 支配する側が武力を手段にした頃のエネルギーとNHKをはじめとするメディア、学校、会社、その他団体を操作するエネルギーは等しいし、支配勢力と被支配側の力は均衡していて、それが平和という状態なのである。江戸時代が良い例である。徳川時代が300年も続いたというのは均衡状態が長かったのである。今は生活保護や社会保障のシステムで均衡状態、政権与党の期間を長引かせているが、国民の預金を担保にしているのである。金融パニックが起これば金融機関は閉鎖され、政府は国民の預金を勝手に着服することが出来るし、株価操縦には罰則まであるのに政府が公的基金を使って株価操縦をするのは自由である。

 この均衡状態は長続きするだろうし、グローバリニズムというアメリカ帝国主義によって世界中に広まっている。均衡が崩れるのは自然破壊が極限にまで進んで、食べ物がなくなった時である。その時の反動は恐いことになる。食べ物が無いから、人が人を食うということになる。

進化の不可逆性?

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日記
執筆 : 
nakamura 2015-6-14 17:45

 基礎物理学で、熱力学の第二法則を学んだ。物体の場合だが、熱は高温の物から低温の物へと移動し、その逆は有り得ない、という法則である。私は(不可逆性)という言葉に哲学を感じた。人間の進化は不可逆的ではないか?と考え、自分なりに洞察してみた。胎内において単細胞から魚、両生類、爬虫類、哺乳類と進化し、人間の子供となって出産するわけだが、その逆はありえない。同時に、人間は自然破壊を発展させつづけるであろうから、それを阻止するために出産出来ないようになり、次の生物が地球の頂点に立つであろう。

 進化、という言葉は良い事だと言う先入観があって誤解を産みやすいし、人間を高等動物だという言葉も差別的である。虫にも食われず、人間にも食われない雑草、病気にもかからない彼らが何故、下等なのであろうか?虫や人間に食われないような臭いを出し、味も悪く、硬すぎることで彼らは生存を守っている。肥料も要らず、舗装道路のわずかな隙間から顔を出し、栽培される野菜以上に大きくなる。凄い生命力である。踏まれても抜かれても次から次へと芽を出し、年に三度も草刈をしないと伸び放題になってしまう。わたしの畑では農薬はいっさい使わないためにゴボウ、ニンジン、キャベツなどの種を撒いても虫に食われ、雑草が凄まじい勢いで伸びている。大根とトウモロコシだけが芽を出して成長し、ジャガイモは収穫期に入っているが自然破壊、食物連鎖の中断が起こり、野菜作りが出来なくなっている。この流れは自然界から食べ物を取れなくなるという結論を予期させる。

 進化ではなく、退化に遡って逆行するほうが生き残る可能性があるのではないか?

無秩序の中の秩序?3。

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日記
執筆 : 
nakamura 2015-6-8 9:36

 秩序とは平衡状態を保とうとする仕組みであり、秩序ー無秩序(秩序の崩壊)?秩序、という変化の流れになる。秩序の内容物は変わるが、平衡状態に復元するという法則は変わらない。自然界、人の生活、社会・政治もその変化に従うが周期を考えれば時間軸が入る。変化のパターンが見つかれば周期があるということになるが見つかる場合と見つからない場合がある。戦争・内乱の周期、地震・災害の周期、株式の値動きの周期など非常に大事な項目があるが誰もまだ見つけてはいない。それは生命現象と同じであり、複雑すぎているし、突然変異的に動く場合があるからである。

 (動的平衡)という本を読んでいるが(平衡)という現象に興味が湧いてきた。

 あらゆる物質の構造には秩序があるので、人間は秩序にすがれなければ生きていけない。進化の過程で両生類から爬虫類に変わったが、不安定な水中から硬い地面に足を置いた時の安定感・快感は私のDNAの中にも残っている。

無秩序の中の秩序ー3。

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2015-6-8 6:44

 わたしが何故、(秩序)にこだわるかと言うとそれがわたしという人間を形成したからである。先天的素質が形成される原型になってはいるが、あなたもその秩序によってつくられ、すべての生物・物質もそのシステムの鋳型から逃れることは出来ない。一週間前、浜辺を歩いていて不思議な石を見つけた。親指サイズの小さな普通の石だが、ウズラの卵みたいに真ん丸いのだ。その石の流転の時間を考えた。何百年も波に揺られ、浜辺の石ころたちにもまれた人生だった。その石が特別に柔らかかったとかもっとももまれる場所にあったとかいろんな条件がからんでいるにちがいない。

 家庭、学校、メディア、社会、会社、政治体制などすべての秩序が鋳型になり、人間を作り上げている。ほとんどの人は丸い石になるのだが、わたしはいつまでも尖ったままでまわりの石たちとぶつかり合っている。ほとんど(変わり者)と呼ばれる。それが良いとか悪いとかではなく、変わり者を作り上げ、存在させている秩序に興味があるのだ。今、福岡伸一氏の(動的平衡)を読んでいるがすごく面白い。生物化学の研究から人間への哲学的考察に踏み込んでいて、納得させられる部分が多い。蟻の世界には働かない蟻が必ず二割はいる、ということを前のブログで書いたが、その二割は他の八割との間で(平衡)をつくり、バランスのもなっているのだ。この世の対立物はすべてそのバランス状態の上で成立しているのではないか?と、考えた。

 (秩序の発生)について考えてみた。参考にするためにネット情報をみたが載ってはいなかった。

 すべての生物は肉体的、精神的(精神は肉体と同じであるが)に秩序を持ち、その構造に組み込まれている。物質もそうである。さきほどの丸い石も成分と組成の構造式を持っている。細菌もそうであり、その仕組みから逃れることは出来ない。チリが集まり固まりあって地球が出来、物質が出来たことで空間と時間の観念が出来た。

 結論として無秩序というのは物質の無い世界にしか存在しない。

 

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