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若い頃は夢(睡眠中の)を見ない日はなかった。東京にいた頃は、実家の福岡の川で魚を掬ったり、昆虫をとる夢ばかりであったが、東京を引き揚げて福岡に戻ると、相模原のボロアパートで隣同士でありながら夫婦関係になった子ずれ女との生活の夢を何度も見た。
69歳の近頃は夢を見る数もすっかり減り、三日に一回くらいになった。これが進むと夢も見なくなるだろうし、現実の希望である方の夢も同時に消えていく。
4,5歳の頃であるが、当時・昭和三十年ころは一番楽しかった。近所の同年齢の子供の家に行き、上がり込んで親の居ない隙に悪遊びをした。タンスの引き出しをあけて、口紅を取り出して自分の口に塗り、鏡に映る顔をみたり、ペッサリー(女がつける避妊具)を見つけ出して風船にして膨らませたり、エロ雑誌を父親の机の引き出しから見つけ出したりした。
小学校に入る頃になるとそんなことも出来なくなったが、お医者さんごっこの夢を何回も見るようになった。隣の家に可愛い女の子がいて、何回か性交のまねごとをしてたから、またやりたくてうずうずし、夢の中に現れたのだった。そこでは現実の意志が働き、幽体離脱して隣の家に行き、やってしまう。射精してパンツが濡れたように思う。
夢をみながら意志が働いたのであった。幽体離脱という現象はこのことだと思う。フロイトは夢は意識下に抑えられたものの出現だと書いている。
(レア仲間)の前身である(レア・ピープル)から振り返ってみると、およそ10年が経っている。仲間は原田氏だけで増えず、私一人がブログや写真、小説、ビデオを投稿してきた。まさにレアであり、仲間は出来なかった。わたしは閲覧者数を毎日確認してきた。日に二千人もの数が出て、驚き喜ぶことがあったが、広告文を入れようとした連中が紛れ込んでの数字であった。
HPを作ってくれた森本氏が失踪してしまった。事情は知っているがここでは書かない。彼がサーバーであったので、その元受けとの契約が切れると(レア仲間)は自動的に消滅してしまう。新しいHPを作ってもらい、そこにデータを移行しなければならないが、わたしの気持ちは揺れ動いている。人間心理や社会を物理化学的に考えてみる、という当初の目的はある程度までの試行を得たが、わたしだけの能力ではそれ以上には進められない。
HPがいつ消えるかは元受け教えない。
わたしの寿命と同じく何時死ぬかわからない状況で書いていく。
現在、わたしはカラオケ会、英会話教室、俳句の会、障害者の会に入っていて、週に一度は参加している。会社の退職後、趣味を生かし、社会参加をしている。町の人々との触れ合いに満足しているし、先生たちも熱心で賢く、不満はない。生徒の九割は高齢者女であり、そのほとんどとは親しく、一割は嫌いである。一割くらい嫌いな女がいても活動に支障はないが、わたしは深く考えすぎるタイプで、そこに女特有の性質を感じる。本来、大人しくしていれば良いものを私は(自分)を出してしまうから不仲になるのだろうがそうはいかない。
英会話教室では、日本語には男言葉と女言葉があるけど、英語にはその区別はありますか?男女関係において、日本女が、嫌よ、嫌よ、と言った場合、そのまま通訳しますか?本当の心理は違う場合がありますけど知ってますか?、などオーストラリア人、女教師に尋ねると、古株の女生徒が、(そんな難しい質問はしないでください。お願いします)と叫んだのであった。(ゲイみたい)とも言われ、からかわれた。
俳句の教室では、女先生に、俳句を作る場合においての差別用語について質問すると、それは常識の範囲内で判断してください、と言われ、わたしはわかったが、(聾唖者)と言う言葉は差別用語にならないなか?と聞くと、そんな難しいことは後で聞いた方が良い!と女生徒に言われ、みんなにとって大事な質問じゃないのか!と言い返した。
これに似たようなことはこれ以外にもたくさんあった。
確かにわたしの質問は難しいものであったが、こんな場合、男は非難せず、黙っている。障害者の会においても老婆が奇形顔の女に、聞くにも堪えない言葉を出すので、わたしは老婆を怒鳴りつけたことがあった。他の古株の男はその差別行為に異議を申し立てなかった。わたしは正論を言う、あるいは変わり者と呼ばれるが、そこに男女の反応の仕方の違いを読み、男女共同参画社会、女の社会への進出との関連づけをしてしまう。
会社内でも女が上司になった場合、どのような組織になるか関心がある。女性が多数を占める組織は化粧品会社、風俗業などさまざまあるが、そこでは男と女の個性の違いが現れるである。女には特有の過激さがあり、息子が幼稚園に入れなかったことで、日本死ね!なんて言う書き込みがあって社会を驚かせたこともあるし、過労死してしまった電通社員の女もいる。
難しい問題であるが、女は子供を育てることが今だ中心的な役割になっているので女の役割を基本に考えて世の中を見直すことも大事であるし、女に反省を求めることも大事である。
来年の5月でわたしは、70歳になります。その数字に対して何とも言えない複雑な気分です。若い頃には60歳の自分、70歳の自分なんて想像も出来ない遥か遠い世界でしたが、時は情け容赦なく流れ去っていくのですね。大衆浴場に入った時、周りで爺さんたちが下着を脱ぎ、消滅感を漂わせた雰囲気を感じ、自分もその中の一人だとわかると寒気がするほど嫌な気分になります。余命、希望、元気、性欲、好奇心、思考力、記憶力などが縮んでいく一方で極小化していき、消えてしまうのが実感されます。
ところが同年齢の女性たちは元気いっぱいです。亡夫の年金をもらい、孫が遊びに来て楽しい、友達がご飯を食べに来るから楽しい、旅行に行って楽しい、男と遊んで楽しい、美味しいものを食べて楽しい、綺麗な色の洋服を買って楽しい、もっと長生きしたい、など楽しいことだらけの後家さんが多い。以前、風俗店に通っていた頃、ある美人の風俗嬢に、(今度生まれ変わるとしたら、男が良い?女が良い?)と尋ねると、(もちろん、女よ)(どうして?)(だってみんな女の人は幸福そうだもの)と答えが返ってきました。今、まさにその言葉を実感します。
建物は垂直に立つし、植物も動物も垂直に立つ。その原因は重力(引力)のエネルギーである。それによって植物は太陽の光を可能な限りすべての葉に受けて、光合成を最大限に活用し、成長する。動物もそうであるし、垂直に立ってることによって安定感を得、効率的、自由に動けるのである。その体が左右対称形であることも原因の一つである。
動植物の精神もそれに倣っている。弁護士になりたいとすれば一生懸命勉強し、進学校にすすみ、司法試験にパスすると言う、垂直論理的な計画を立てる。この論理的・帰納的な思考も重力の法則通りに、司法試験合格を頂点にしたピラミッド型である。木には太い幹があり、枝分かれして太陽を向いているという構造は演繹・帰納的な姿である。
重力があるから地上のすべてのものはそのベクトル・力に従ったのである。
重力の法則は地上のすべての生命、生き方に力を与えている(神)である。
精神に障害が出るということは重力の法則または磁場からから外れた場合ではないか?と勝手に想像するのだが。いかがなものでしょうか?
この句を先ほど作ってみて、独断であるが俳句の世界がわかったような気になった。この句になる前は、(蔓一本湖面に伸びし冬の暮れ)であったが、異質な(年の暮れ)を入れることによって、違う楽器が共感する広がりと無常観が表現出来たと思う。次回に句会でどんな評価を受けるかわからないが、俳句の世界も芸術と同じで意外なニュアンスで響き合わせるかどうかで評価される。あるいは誰もが表現出来ない言葉を重ね合わせることが出来るかどうかである。
今日の(俳句の会)で(良)の評価をうけましたが、(蔓一本湖面に垂れし年の暮れ)より(年の暮れ湖面に垂れし蔓一本)にしたほうが良い、と言われ書き直しました。他人の目の方が鋭いですね。
前掲のブログの続きになるが、太古の日本では男女が結びつくと同居するのではなく、男が女の住まいに通っていたのである。(夜這いーよばあい)の風習はその時、男が女の名前を呼んで訪れたことを告げた(呼び合う)ことから言葉になったのだ。一夫一婦制で同居するようになったのはそれ以降のことである。
草食系、男女共同参画社会、性同一障害、グループ・ホームなど性の多様化複雑化する現代において一夫一婦制で同居すると言うルールは時代にあわないし、それを習慣として受け入れることが難しくなっている。結婚制度自体が見直されなければならない。
ある夫婦は家庭内離婚・家庭内別居の生活をしている。夫は妻との離婚を望んでいるがツマは出ていかず、夫の行動を絶えず監視している。不倫でもすれば離婚時の有利な資料になるからである。伝達必要事項は紙に書いて食卓テーブルの上に置いている。ツマ彼女の部屋に外鍵・内鍵を付け、外出の際は必ず、施錠し、生活費は夫の金を使っている。もちろん、セックスはない。
こんな状態なのに別れるには離婚を裁判所に提訴しなければならないし、離婚して姓が変わるだけでも丸一日の書類手続きが必要なのである。
知人から聞いたこんな話。
A子は50歳で美人であり、気性が激しい。保険の外交員をしており、自分の生活費は自分で稼いでいる。派手好きでカラオケやスナックで飲んで騒ぐのが好き。息子は19歳の大学生。夫は金貸しをしていてバブルの頃に大儲けして、豪邸に住んでいるが、今は貸金業への規制が入り、収入は少なくなった。彼はA子に自分の使う光熱費や石鹸、シャンプーの金を出すように請求した。大喧嘩になり、(貴様!撃ち殺して、スコップで土に埋めてやるぞ!)と息子のいる前で叫んだ。最初わたしは夫が叫んだのだと思っていたら、A子が叫んだのであった。
それで離婚した。
A子には再婚相手がすでにいたが、結婚はしない。アパート住まいをして、男が通ってくるようにしている。男は二回離婚していて、二回目の妻はうつ病になり、入院して、彼の両親の願いで離婚した。男はかなりの完全主義者で金持ちである。趣味は神社仏閣を見て回ることで、カラオケを歌うとド音痴。食材でも必ず激安店に行くが、A子は激安店は中国、韓国製が多いからと言って信用しておらず行かない。男はA子が外交員をして仕事柄他の男と飲食をすることを嫌い、主婦業に専念することを望んでいる。A子は仕事を続け、男からの経済的援助は受けず、自立していたい。
A子はアパート住まいを始めたが、A子と男が今後どうなるかわからない。破綻の可能性しかないと、わたしは思う。三者に共通しているのは異種を受け入れず、排除する性格だと言うことだ。誰しもそれは持っているが、先日の人権の話の中にあったように、異種は観察し、納得できる部分は納得し、自分に取り込むしかない。人権の講演時に話したアメリカ人が日本の言葉や生活習慣が異なると考えて拒否すれば彼は生きていけなかっただろうし、母国に引き上げるしかなかったはずだ。
彼は3年間で当用漢字をマスターし、すっかり日本通になり、今では大学教授にまでなり、テレビにも出演して、タレント並みである。」
数日前、公民館に行った。手話教室の見学が目的だった。障害者の旅行で知り合ったAさんの誘いの言葉が心に残っていたからである。
10人ほどの高齢の女性が集まっていて、Aさんは皆の前に立って、授業を始めた。ボードには日常使う単語が並び、会話の例文も書かれていた。Aさんは穏やかな顔で、手話で現し、時々、たどたどしい言葉を発した。人は言語を考え出す前は手振り身振り、唸りで意思伝達をしていたのであるから、手話というのは親しみを抱かせた。素朴な原始時代に戻ったような懐かしさをわたしのDNAは感じ取った。ただ、完全に手話をマスターするには10年はかかるという話を聞いていたのでわたしの余命は足りないかもしれないとも考えた。
帰宅して、手話ダンス、手話劇、手話で歌う、など調べてみると、すでにそれらは実践されていてたくさん取り込まれているのがわかった。だが、いずれにも発声言語が入っていたのでわたしの本来の意図とは異なることを知った。本来の意図は手振り身振り、手話で現すことであり、サイレント映画に観る様にそれらと顔の表情、字幕で現す世界であった。
次に(足らざる)という言葉を考えた。(足るを知りて足らざるを知る)という諺があるが、今のわたしは、歳が足りない、頭が足りない、女が足りない、金が足りない、活発さが足りない、と足りないものばかりである。時間だけは十分にあり、それだけが足りているが、いずれ死んでそれも消えてしまう。
Aさんはしゃべれない、聞こえない、と二重苦の生活であるが、それ以外は満ち足りているし、二十苦のハンディを乗り越えて健常者に手話の指導までしている。これは驚きであるし、健常者?たちへの教訓にもなる。同時に(足らざる)ことの価値を見出すことも出来る。すべてに満ち足りた人が必ずしも幸福なのではない、足らざるばかりの人が必ずしも不幸なのでもない。金が足りなければ、金を盗まれる心配はないし、女が足りなければ浮気される心配はないし、金を使うこともないのである。
田舎に引きこもった生活をしているが、昨日は友達の誘いで、町の公共施設にジェフ・バークランド氏の講演を聴きに行った。(障害は個性)という題であり、それは常日頃自分も考えていたので珍しくはなかったが、彼が20歳で来日し、46年間を過ごした体験を基にしての話だったので中途退席する観客はいなかった。彼は東京・駒沢で学生・下宿生活を始めた話をした。そこでは共同風呂に入る時に、下宿生たちに(お先に!)と大声を出して風呂に入ることになっていた。彼は最後に入浴するのでその言葉は要らないのであったが、必ず(お先に!)と叫んで風呂に入った。ある日、彼が外に出て、バスに乗ろうとした時、バスを待っていたおばあさんが彼に(お先に)と言って乗ったので、びっくりした。(お先に!)とは風呂に入ることだったのではないか、確かにどちらもBUS,BAThであるがとジョウクを入れて、その出来事を友人に聞いたが、友人はバークランド氏の誤解を丁寧に説明してくれたと言う。
バークランド氏ははっきり言わなかったが私が彼の真意を想像するには彼自身が日本語もわからず、生活も出来ない障害者であったということだ。それは一時的なものであり、彼は好奇心と猛勉強によって生活で出来るようになり、健常者に変わった。日本人を観察し、20歳までの彼の生活習慣と比較して違いを理解し、吸収した。人権と言うのは相手の置かれている生活、環境を理解し、自分との差異を発見して受け入れることだと言いたかったのだ。
日本人は謙虚なので日本の文化は受信型であり、外国は発信型文化だとも言った。聾唖者も観衆にしての話だったので手話通訳士が通訳をしていた。バークランド氏は通訳士の名前を手話で現した。塩田さんの場合は顔全体を引掻く身振りと両手の平開いてを交える手振りで現した。彼自身の彼の豊富な体験も交えてドラマの監督でもあった。
わたしがそれ以上印象に残ったのは、彼が人間にとって一番大事なものはなんですか?と観衆に尋ね、命、金、愛などと聴衆が答える中で、それは酸素です、三分間酸素を吸わなかったら死んでしまう、と答え、次に水です、重力です、と話した。彼の実家はアメリカの砂漠だったので日本に来て初めて傘を差したとも話した。砂漠では水は貴重であるが日本ではあるのが当たり前なのである。
彼は自然が一番大事である、と言いたかったのである。日本人には出ない言葉である。酸素、水があるのは当たり前だと考えているからである。