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私たちは今、人類史上稀な時代に生きている。餓死者が、特別な場合を除いて、いない時代なのだ。日本の歴史、世界の歴史を調べてもこんな時代は一度もなかったし、日本は太平洋戦争後戦死者を一人も出していない、これも初めてである。
このことは何を意味してるのであろうか?
滅亡を意味してるとしか考えられない。飢えの苦しさ、それが死につながることを知らない、そんなことを経験していないということはそれへの備えを失っているということである。未来に対する備えをせず、目先の生活と快楽にしか目が向いていないと言うことだ。太平洋戦争後、食糧難、飢えに苦しんだ時代では女は体を売り、男は農村に出かけて貴金属や高価な着物を米と替えてもらい、それで生きてきたのである。
わたしが不安に思うのは、川で生きていたドジョウやドンポ、フナ、蟹がすっかり姿を消してしまってるという事実だ。川が農薬に汚染され彼らが住めなくなっている。すべての川は海に流れているから、最終的には海も今の川のようになって魚が住めなくなり、魚類が消えてしまうということである。食物は連鎖しているから次の種が消え、その次の種が消え、となると人間も消えるしかない。
餓死者のいない時代は恵まれてるように見えて、実は怖い未来を抱えているのである。
昨日は障害者20人ほどと観光バスに乗って、田川市の石炭資料館に行った。山本作兵衛さんの炭鉱労働絵を見たり、炭住の生活風景の再現模型など見た。その時代が留められていて、懐かしくなった。
バスの中では聾唖者夫婦、女性介護者と私の席が接し、話を交えた。顔は知っていたが彼らと口をきいたのは初めてであった。わたしの言葉や聾唖者の手話は介護人が通訳してくれた。妻の方は顔たちの整った美人で、夫は背が高くおっとりした感じであった。妻は写真を出して、わたしに見せた。20歳代の頃の結婚式の写真で彼女と夫の顔が幸福そうに写っていた。写真はいつも御守りのように肌身につけていると言い、彼女の優しさと繊細さがわかった。ダンスをするのが趣味だと言った。欧米風の顔立ちをしていて女優のように見えた。彼女の表情は豊かに変わり、それもコミュニケーションの一つだと後にネットで手話を調べてわかった。彼女は洋裁や掃除や調理の仕事をしてきたて、夫は69歳でわたしと同じ歳であった。自動車販売店の車の掃除をしてると言い、土産は両手に抱えきれないくらい買って交友関係が広いことをわたしは知った。男の子が一人いて、結婚して孫が出来、可愛いと妻は言い、右手で頭を撫でる仕草をし、それが手話で可愛いという意味だとわかり、わたしは手話の世界に興味が出てきた。行きも帰りも同じ席であったが、外の景色を見る暇もないほどかれらとの話に興味を持ち、しゃべった。聾唖者の人生、生き方がわかり、感動した。わたしは心臓のバイパス手術をし、どもりという障害者であるが、一般人並みの人生を送ってきた。その夫婦はしゃべれないので必要な時は紙の書いて筆談し、生活に不自由はしていないと言った。わたしに子供はいるのか?孫はいるのか?可愛いよね!としきりに言ったが、わたしは薄笑いを浮かべて、複雑な事情は話さなかった。
今日はその出来事を思い出しながら、チャップリンのサイレント映画(街の灯)の場面を思い出してその二つの光景が重なった。(街の灯)は浮浪者でおどけ者の主人公が盲目の女と知り合い、恋をするが、彼女の目が見えるようになって彼の本当の姿を知って、去ってしまう、と言うストーリーであった。バスの中で話した聾唖者の妻がその盲目の女に見えた。無声映画特有の豊かな表情であり、二人とも美人であった。障害者というハンディが逆に美の効果を強めた。映画は声が出ずに字幕で物語が進むのでわたしと聾唖者たちとの交流に似たところがあったことに気づいた。手話は身振り手振りと言う点で一般人も良く使うものであるが、指先の表情の素晴らしさをわたしは知った。手で感情や考えを現すもので、日本舞踊やダンスと同じ芸能に属するのではないかと考えた。
新しい世界に触れた満足感を与えてくれた。火曜日に公民館で手話の教室をやっているからと誘われ、行くつもりである。
毎週、町の運営する英会話教室に通っているが、今回講師のテュリン(24歳のオーストラリア女)は奇抜な授業をして頭をすごく刺激される。そのやり方は最近のマニュアルの一つかもしれないが、私が高校時代に望んでいた内容に等しい。
昨日はこんなやり方であった。二人ずつグループになった生徒たに写真を配る。鶏たちが走って競争をし、その背中に小さな男が乗っている写真。あるいは女幼児がい椅子に座り、PCに向かっていて、PCのそばには男幼児の小さな写真が立ててある写真。
生徒たち写真を見て、物語を考え、作り、英語で発表する、と言うやり方である。わたしが学生の頃は英単語を覚える、文法を学ぶなど最初から上からの目線の授業であり、難行・苦行であったが近頃は変わったのであろうか?授業をいつでも公開するような姿勢が欲しいが。
わたしと隣席の男は話し合いながらこんな物語を作った。ある朝、目覚めたジョンは夢の内容を思い返していた。チキンレースが行われ、鶏たちが走って競争をしてる内容であった。ジョンは興奮して、一羽の雄鶏の背中に飛び乗って走り、もっと速く!もっと速くと叫び、勇気づけ、ついに一位になって優勝した、という話であった。
女幼児が泣いている写真に対しては、彼女はパソコンでアニメを見ていたが母親の姿が消えていることに気づいて泣き始めた、という物語をわたしは作ったが女生徒のグループはパソコンのそばにある小さな写真の男児に気づき、彼がいなくなって女幼児は寂しがって泣き始めた、と言う物語を作り、わたしはその写真には注目していなかった。男と女の目線の違いがわかった。
単純な話であるが、雄鶏は英語で何と言うのか?勇気づける、という英語はなんと言うのか?など和英辞典を開いて探したのである。頭を使い集中した。
英単語を憶える、文法を憶える、そんなやり方が垂直的(上下)だとすればこれは水平的なやり方である。真横に広げるほうが広がりが大きい。今年の米の収穫量はどれくらい増えた?それに比例して自然破壊はどれくらい増えた?など異分野の部分を並べ合わせると本当の実態が見えてくるのではないか?両者を別個にとらえているから、実態が失われてしまっているのが現代である。
アメリカでトランプ氏が大統領になり、話題になっている。日本では北方領土返還のことで日露のトップが話し合っている。トランプ氏は不動産王と呼ばれる民間人であり、対外政策を政治ではなく経済中心に考えている。露骨な舌鋒で異端者扱いされていたが、真理をついた発言でもあった。まさか大統領になるとは予想もされなかった彼がなったわけだから、これは世界の政治・外交にも取り込まれていくだろう。日露の交渉も北方領土の返還よりもその地域の開発・経済交流に終わりそうである。
アメリカと北朝鮮の関係も政治の枠組みを破って、経済交流に変わるかもしれない。人権、民主主義の世界が北朝鮮になだれ込むだろう。それによって金体制は崩壊することが考えられる。(経済)がトロイの馬になるということだ。消滅してしまった東ドイツのように。
現実の生活では端役でしかないのに、夢の中ではいつも主人公である。だからどんな夢を見ても楽しい。責任感からも常識からも解放され、自由きままに夢世界で活動し、観客にもなれる。時々自分が社会生活では秘密にしていることが飛び出す意外性もあってドラマを楽しくしてくれる。あるいは人間関係の微妙な部分(ある人とは気が合わない雰囲気など)なども再現し、夢は小説より奇なり、である。
若い頃は女とセックスしている夢、また空手同好会でリンチを受けた悪夢ばかりであったが、居住地や加齢とともに内容も変わっていく。東京で生活していた頃は故郷の小川で魚を網でとる夢が多かったが、帰郷してからは相模原市のボロアパートで暮らし、隣室に越して来た子連れ女との生活に変わった。
近頃は夢の上映会数もすっかり減ったがそれでも二三日に一度は、見るし、追体験をする。見知らぬ土地に行って、安っぽい部屋のベニヤ板壁や初めての仕事への不安など、昔の出稼ぎ生活を記憶の下層に残しているのがわかる。幼児の頃は、隣の家の女の幼児とお医者さんごっこをよくしていたので、夢の中で隣の家に入り、その子と抱き合う場面を想像しながら夢の中で実行し、射精をした。そんなことがたびたびあった。夢を作り、夢の中で主演したのだ。それがで出来れば良いな!と思うが今では寝る前に色んな女と抱き合うことを想像するだけである。
今回の出来事は私にとって今年の三悪事の一つになったかもしれなかったが、わたしはうまく切り抜けた。きっかけはわたしが二年前にA男の借家の連帯保証人になったことだった。A男はわたしとNHKとの委託契約の連帯保証人になってくれたので、わたしは頼まれると断れなかった。A男の妻のA子はスナックを経営していて、店のホステスの借金の連帯保証人になり、ホステスは夜逃げし、A子は借金を背負わされた。スナックの経営で何とか家賃を払ってきたが、重度の糖尿病にかかり、医者通いを続け、店をたたんでしまった。家賃を払えなくなった。
不動産屋の社長は家賃の請求をA男にしたが、A男は下手に出ることを知らず、口喧嘩をしてしまった。6か月分の家賃(42万円)がたまっていた。t社長はわたしに支払い督促状を送ってきた。2度、3度と送ってき、最後は簡易裁判所から払うか、異議申し立てをするかと、文書が来た。わたしはA男は12月に滞納分をすべて払うと言い、現在の月の家賃は払っているので、支払いの意思があるのに私が払わされるのは納得できない、と異議申し立てをした。内心はA子が何とかするだろう、ここでわたしが払うと、他の借金もあるA子は返さないと考えた。
A子はわたしが被告席に座らせられるかもしれないと心配し、夜も眠れなくなった。知人に土下座して金を借り、滞納分を払ったが、告訴の取り下げもなく、不動産屋から払ってもらったという返事もなかった。このままいけば30日に公判が開かれるのか?と考えた。被告席に座ることも経験になるとたかをくくっていたが、A子が案じる電話をしきりに入れてくるので不動産屋の社長に電話を入れた。ぞんざいな口調だった。(わたしはA男に代わって持ち主に家賃を払ってきた。あなたは私に金を借りていながら返しもせず、逆に異議申し立てという形で訴えているのと同じなのだ)彼は言った。
わたしは彼の心境を察していたので、三度、詫びた。告訴を下げてもらいたいのでしょう?彼は言い、わたしは、そうです、と言った。こちらも裁判に出たくはないので告訴は取り下げる、と彼は応えた。
これで片が付き、わたしは一円も払わなかったわけで、作戦通りに決着がついた。わたしの謝罪を社長は待っていたのだし、わたしもそれに感づいていたが、(負けた)振りをして実は勝ったのであった。(勝つことばかり知りて負くることを知らざれば害その身に至る)とは、徳川家康の言葉である。
今日は遠賀郡・障害者の会、その理事会に参加した。わたしは心臓バイパス手術をして障害者4級であり、どもりでもある。精神科医の問診を受ければ情緒不安定、躁鬱病、色キチガイ、深刻症など様々なネーミングが待っているであろう。
理事会の場では旅行や演芸会の打ち合わせが行われ、会員が年々減っていると会長が話した。最後に意見・要望の場になった。わたしは先日の障害者の体育祭がすごく活気があり、もっと広報活動に力を入れるべきである。新聞社に取材させたり、町報にイベントの参加を呼び掛けたり、会員にニュースを配布したりすべきではないか?すでに障害者は特殊な立場に置かれてはいない、と言った。そこで、すでに人類自体が障害者になってしまっているのではないか?と考えた。冷暖房設備がなければ生きていけない、汚いものは排除しなければならない、除草剤を播いたり生活排水を汚染すればどうなるかがわからない、利便歳が自然破壊に通じてることがわからない、自然を破壊することが人類を含め生物の破壊になってることがわからない。地球上で自然破壊をしてるのは人間だけである。野生動物の視点から見れば人間こそが有害獣であり、害虫なのである。
わたしもその一員である。出来るだけ自然に近い生活をし、自然破壊を少しでも減らすことを訴えてはいるが。
現在、700坪の敷地に住んでいる。そこには色んな木々や草、花、野菜が毎年、花を咲かせ、実をつけてくれる。ほとんどのものの名前がわかっているがわたしがまったく関心を持たず、放置したり刈ったりしてたものがあった。その一つに興味を持って調べてみると絶滅危惧植物であった。広葉の甘菜(ヒロハノアマナ)と言う学名であった。雑草みたいで20センチほどの高さしかないが、あちこちに生えていた。園芸店に行って調べてもらい、ネットを見てやっとわかった。球根は小指ほどの大きさであるが一粒500円の値がついていた。
産直店やネットで売りに出してみよう、と思うが、何故、絶滅危惧種なのか?と考えると、たぶん人気がない(白い花を咲かせると載っているが見たことはない)、繁殖力が弱いという理由が想像出来る。
まさに私のことではないか?
つまり、わたしも絶滅危惧種のひとつであり、その植物と同居してたということである。(笑い!)
一昨日の日曜日、遠賀町の体育館で障害者の体育祭があった。岡垣、遠賀、水巻、芦屋の四町村の連合した催しであり、毎年行っている。13種の競技があり、すごく楽しく面白かった。一つ一つの競技の様子を書くときりがないので一つだけ、書いてみよう。車椅子競争、と言うのがあって四町のグループに分かれ、車椅子の乗ってグランドを走り、次の選手にタッチして速さを競うのであった。わたしは肢体に障害はなく、心臓の活動が少し弱いハンディなので車椅子にはあまり乗ったことがない。15人のうち肢体不自由者は3人いていつも車椅子に乗っていた。
競技が始まった。
車椅子で走るのは難しくないが、コーナーを曲がるのが難しい。左腕の動きを止めて右腕で車輪を回さなければならない。わたしのグループは二位であったが、最後の走者は車椅子常用者の男であった。コーナ?を回り、直線コースに入った。彼はすごい勢いで走り、日ごろ車椅子を使わない男を抜いたのであった。
彼の生き生きした表情と活気が印象的であった。こうなると車椅子に頼っているのではなく、車椅子使用の世界では優秀ということになる。ここに真実が隠されている。障害者と呼ばれてはいるが実は一般人の持たない特殊能力を持っているということであり、社会自体がこのことに気づかなければならない。
昨日は俳句の会に行った。
ニンジンの種を播こうと考え、畑を耕していたが、膝に鈍痛を感じ、少し鬱になっていた。人に会えば元気が出るだろうと期待して行ったわけであった。
公民館の一室で行われるのだが、11人の80歳ちかい男女が集まっていた。今月、作った七つの句を出して合評しあう場になった。自分の出した句がどのように判定されるか不安と期待に混じる時間だ。
(野晒の死蝉を包む朝の雨)というわたしの句が俎上に載せられた時、女先生は頭をひねりながら、(死蝉ではなく、落ち蝉)と言った。わたしは初めて耳にするその言葉に驚き、考え込んだ。
最終的に、
(落ち蝉の骸を包む朝の雨)
と言う句に先生が更生してくれた。
わたしは日常生活にはない句が俳句の世界にたくさんあることを知って、日本語、日本文化を改めて考えさせられ、素晴らしいと思った。同時に退職して貧しい年金暮らしの自分の人生がまさに(落ち蝉)であることに気づいて、苦笑したのだった。