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時間はエネルギーを持っている。

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日記
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nakamura 2018-2-6 11:22

 今のところ、毎朝、目が覚める。私は無職であるから、しなければならないというものはない。起きても起きなくても良いわけだから、出来るだけ暖かい布団の中に居たいと思って、長寝をしようとするが、トイレに行こうと立ち上がり、パンを焼いてコーヒーを飲む、そんなことをしてるうちに私の一日が始められる。

 (行く川の流れは絶えずして、元の水にあらず)という鴨長明の随筆を思い出す。これはまさに哲学である。その言葉のとおりでであり、時間がエネルギーであることを言い当てている。わたしの一日の動きでも前と同じ状態はありえない。空間の中の物の変化が時間を産み、エネルギーになる。エネルギー不滅の法則があるように地球に重力がある限り、エネルギーは消えない。

 目覚めぬ朝が来たとしても、わたしの死体の腐敗、白骨化の変化によって、時間はエネルギーを持ったまま永遠に生き続けるのである。

タコとの思い出。

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日記
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nakamura 2018-2-1 12:33

 毎日、寒い日が続き、空は薄暗くて、気分が落ち込むことがある。これで春が来、夏が巡って来るのだろうか?と不安になる。

 あの日の夏のことは忘れないし、思い出すたびに心を支えてくれるのがわかる。わたしの体の中に入ったタコちゃんは今頃、どうしてるか知らないが、わたしと共に生きていることは確かだ。

 津屋崎の勝浦の岬がわたしの勝手な漁場であった。地の島を目の前にして、潮が良く引いたの大潮の日に出かけた。水中眼鏡とシュノーケルをつけ、素潜りをした。浅瀬の海の底は差し込む陽光が金色に光り、無音の中に神秘的な景色を砂地に展開していた。わたしはアワビやサザエ、魚を探しながら漂っていた。岩場におかしな現場を見た。穴の入口に手の平の半分くらいの薄い石が立てかけてあったのだ。横に倒れているのであれば自然であるが、(立っている)ことに不自然さを覚えた。そばに空の貝殻が散乱している。ピンときた。タコの巣であろう。私の気配を察して、穴の入口に塀を立てたに違いない。私はすぐに浮上して、息をたっぷり吸った。潜ると、穴に手を伸ばした。柔らかい感触を得た。タコの体の一部を握り、引っ張り始めた。タコは岩肌にぴったり張り付き、掴まるまいとした。数分、格闘した末、タコは根負けして手の中に入って来た。

 あまえも賢そうだけど、賢くなかったんだな。石の塀などしなければ見つからないものを、知恵を回し過ぎたために食べられてしまうことになった。

 こんなこと、今、思ってるのはあの時のタコかもしれない?

セクハラするエネルギー、される魅力。

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nakamura 2018-1-13 18:26

  相撲行司の式守氏がセクハラ疑惑を持たれ、引退するかどうかでもめている。セクハラは今や世界的に問題化され始めているが、マスコミ関係者や有識者たちはセクハラの加害者のことは悪行として取り上げる。が、その本質に迫ろうとはしない。それは自分(男性)の仕事を失う可能性が大いにあるからである。

 (レア)と時々呼ばれるわたしは敢えて取り上げてみたい。無名であるがゆえに許される特権である。

 先ず、善悪の基準を外してみたい。そうしないと本質に迫れないからである。女のセクハラだって現実的にはあるのだが、数が少ないのでほとんど取り上げられることは無い。それに女が相手に好意を持っている場合は、逆に歓迎されるので、セクハラかどうかの判定基準は微妙である。セクハラをする男たちは、自分のことをどう想っているのか、試すこともあってやるのである。それが執拗になると訴えられる。やめておけば良いものをつい手が出てしまう。(この手が悪いのよ!)と手を叩かれてまだ続けるのはリピドー(性欲)のせいである。女にだって当然性欲はあるのだが、ベクトルが逆なのである。押すエネルギーと引き込むエネルギーのちがい、つまり重力と引力の関係であり、実は同じエネルギーなのである。リンゴが落ちる、とみるのか、地面に吸い込まれた、と見るかは、観察者の目線がリンゴより下にあるか上にあるかで異なってくるのと同じである。

 女にだって魅力があるから、セクハラを受けるのであり、まったく魅力がない場合はそばに寄って来られることもないであろう。地球に重力がある限り、生物は生き続け、セクハラも戦争もなくなりはしない。

 

目覚めぬ朝の来る日まで。

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nakamura 2018-1-13 7:27

  先ほど見ていた夢は、これは夢であると知りながら、見ていた。五年前まで住んでいた大きなボロ家の中で、近所の子供たちと遊んでいる夢であった。部屋がたくさんある家で、母が昔、学生の下宿屋をやっていて、私はその広い座敷で産まれたようであった。渡り廊下のそばに池があって、魚が泳いでいて、十年前まで色とりどりのドイツ鯉を私は飼っていたが、夏のある日、酸欠を起こして死んでしまった。悲しかった。

 幼い頃は近所の子供たちの家に行って、かくれんばをしたり、お医者さんごっこをしたりして、遊び、6,7歳になると、パッチンや石蹴り、縄跳び、ビー玉でインキョと言う遊びをした。親たちはどこの家も仕事に出かけていたので、自由に遊べた。かくれんぼをする時には気に入った女の子と押し入れの中に隠れ、抱き合い、性器をいじったりした。乱交みたいのもやった。

 近頃は幼い頃の夢をしきりに見るようになったが、幼少の頃は夢のストーリーを自分で操ることが出来た。隣の家の女の子に会いたいと思えば、自分の体が宙に浮いて行き、畳の上でセックスをし、目覚めるとパンツが精液にまみれていた。

 先ほども、幼馴染と思われる子供たちが俯いて遊んでいた。これは夢だなと私は思い、これから自分の欲望のままにストーリーを進めようと考えながら、夢を中断させたくないと判断し、けっきょく、目覚めてしまった。

 そして、いつか目覚めぬ朝が来るであろうが、その時は夢の世界に住んでいるかもしれない。

 

チップ農法は農業革命。

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nakamura 2018-1-10 17:44

  これまで一般農法(一時的に枯葉を入れる自然農法をやってみたが続かなかった)で野菜作りをし、石灰、堆肥、化学肥料を入れて作ってみたが、虫が増えて芽が食われ、何もできなくなった。特にフランスから土に混じって入って来たクビナガが大量発生し、畑はほぼ全滅していた。知り合いからチップ農法を教えられ、近所の建設会社で木を粉砕して出来るチップをもらってきて畑に入れ、半年前からチップ農法を始めた。水が要らない、肥料が要らない、もちろん農薬も使わない、そんなやり方で少しずつ効果が出ているようだ。長ネギ、ジャガイモ、大根、ホウレンソウ、カリフラワー、白菜など毎日、観察しているが、はっきり効果が出ているのは大根である。最初に播いた種は全部食われたので、遅蒔きになり、葉はまだ指の長さほどであるが、根が三十センチ以上も長い。これはあきらかにチップが発酵して出た菌が土を食べながら伸び、畑地を深く掘っていったからである。そこはスポンジ状になっているので水をやる必要はないのだ。山の木が日照りが続いても枯れないのと同じである。一般の肥料をやらないから、虫が寄って来ない。クビナガも肥料や腐敗物が大好きであったけど、それらがないので数が減った。

 環境にも良い、経済的である、と素晴らしい農法だから少しずつ普及しているが、本格的には広まっていない。チップは普通の肥料と混じるとバッティングすることがあり、農法の転換で失敗する場合があるので専業農家は慎重なのである。

  カリフラワーの葉が全体的に薄い色あるが、白い実は大きく美しく、長い葉に抱かれるようにして成長しているし、長ネギも元気よく、ジャガイモも以前より大きいようである。ネットで調べると、チップ農法は二、三年しないと効果が出ない場合があると書いてあるが、わたしのところは専業ではないので心配していない。

 チップ農法による野菜が出来れば、親しい人にあげたり、売ったりして、農法を広めていきたいつもりである。無農薬100パーセントの直売所を開いてみたいとも考え、夢が広がる。

私が聖書を書くであろう日。

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nakamura 2018-1-5 8:41

  今日の午前10時に、Aさん夫婦と車の中で対談をすることになっている。彼は航空力学にも強く、私のつたない物理化学の知識にも助言を与えてくれる。彼はその宗教に入ってくれ、と言う事もなく、淡々と教え、私の質問にも答え、私の考えにも同意することがある。私たちは研究し合っているのだ。

 私は聖書を勉強しながら、私であれば次のような聖書を書くであろうと想像する。

 神は私たち、動植物を含め地上のすべてのものに命を与えてくれ、元気に生きるようにエネルギーを与えてくれている。エネルギーは質量×重力で現される。地上で最大の質量は地球であるから、最大のエネルギーは地球であり、それが神である。重力は地球がその圏内の大気を押し付けていることから発生している。ゆえに、地球そのものが神である。

 地球は自転することで太陽の当たる半球が半日で変わり、昼と夜をつくり、毎日繰り返し、循環している。それは光と陰を産み、すべての現象に二項対立、反転対称形を作っている。自分が不幸であるからと言って、悩むことはない。不幸の裏には幸福が待っており、幸福の裏には不幸が待っているのだ。(楽は苦の種、苦は楽の種)である。不幸であればそれを喜ぼうではないか。幸福であれば気を付けるようにしなければならない。すべては神(二項対立)の意向なのであるから。

 神は太陽の光や風でもあるのだから、すべての生物に公平に降り注ぐ。一人とか何人とかにではないが、神から救われるとか幸福が与えられるとか、その逆の場合は神を信じいかに強い関係をもっているかにかかっている。

 これが書き出しになるかもしれない。

焚火で迎えた元旦。

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日記
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nakamura 2018-1-3 8:14

  元旦を、竹の子山で、枯れ竹を燃やして迎えた。独りであった。枯れ竹があちこちに倒れかかっていて、中に入れない状態であったが、鋸で切り外しながら進んでいった。いつもはチェーンソウで切るのだが、重くてエンジンの掛かりも悪いので2,300円の鋸を買った。すごく切れ味がよく、孟宗竹を切るのに30秒もかからなかった。

 枯れ竹を集めて、火を焚いた。晴天が続いていたので、良く燃えた。両手の指で丸めきれないほど大きな竹は、時々、砲撃音みたいな音を辺りに放って、燃え盛った。

 年末から野菜を売った小金が入り始め、チップ農法の結果待ち、普及活動、年金の会の活動、カラオケ会の発表会など今年はやることが多い。何をやってもうまくいかなかった人生に転機が訪れてくれれば良い。

 昨日の2日は岡田君と出会い、そこの枯れ竹をまた燃やし、しゃべった。(正月くらい飲んでもいいやろう)と、酒好きの彼は昼間から酒を飲んでいた。彼は手伝ってくれた。枯れ竹を切って、焚火の中に投げ入れる速さは私よりはるかに速かった。10歳も若い。

 焚火に向き合って腰を下ろし、話をした。

 「ノーベル賞をもらった利根川進さんの、(精神と物質)を読んでいるけど、人間のDNA を全部解析するにはあと7000年もかかるらしいね?」

 私は言った。

 「俺たちが死ぬまでにもわからんのよね」

 彼は答えた。

 「そうだ。俺たちがこうして焚火を囲んでいる光景だって、DNAに録画されてるかもしれないよ」

 私は言った。

 

神は生命力の中にいる。

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日記
執筆 : 
nakamura 2017-12-30 5:48

 今週の木曜日に、エホバの証人の布教者と話をした。彼はわたしに(聖書は実際に何を教えていますか?)という小冊子の中味を音読させ、ページの下に書いてある質問に従って尋ねた。

 「宗教の教師たちがどんなことを唱えたので、多くの人たちは、神は冷たい方だと思うようになりましたか?」

 「悲惨なことが起こると、それは神のご意志だ、(彼らが)言うからです」

 わたしは自分の手に持っていた小冊子のページの中から答えた。

 「そうです。よくおわかりになっていますね」

 彼は満足気に応えた。

 この講習は王国会館の集会においても同じ手法である。

 日本共産党の支部会議、その学習会でも、綱領や中央委員会の報告内容を音読させ、質疑をする。わたしはそこに上意下達の構造を知り、奇妙さを感じる。この町のカラオケ会、障害者の会、年金の会などにも通っているから同じ構造を知った。本来であれば自分の日常生活への疑問や悩みなどが基本でそのことから出発すべきであるが、運営者はいつも御かみの意向を窺うような姿勢(上からの目線)である。

 「神とは地上のエネルギーを総まとめにしたものではないでしょうか?エネルギー=質量×重力、ですよね?」

 わたしは布教者に尋ねた。

 「そうです。その方程式は知っています」

 「地球上で一番重い物は何でしょうか?」

 「・・・・」

 彼は考えた。

 「それは地球なのです。つまり地上で一番強いエネルギーは地球そのもの、つまり自然なのです。あなたたちは人は神の子だと言うけど、人は自然の子でもあるのです。自然も人もそのエネルギーつまり生命力をもらっている。それは守ってくれているとも言えるが、自然が人間の面倒をすべてみてくれるというのではない。人は塵から産まれたとエホバ神が言った。神は塵の一つ一つの面倒を見ているのではなく、全体を見ていて、様々な動植物を作って、生きよ、育っていけ、と言っているのではないですか?」

 「おお、素晴らしい話です。ぜひ、入信して私たちの力になってください」

 別れ際に彼は言い、彼の妻とともに私に(ありがとうございました)と言った。

 女が好き、酒が好き、バクチが好き、な私が入信することも許されることもないであろうが、わたしにとって彼らとの対話は自分の考えを試せることもあって非常にワクワク感の出るものである。出会った布教者が理系に強い者であったこともわたしに知的な収穫を与えてくれている。

 今年はチップ農法を知り、(年金の会)に入り、エホバの証人とも知り合い、親しい友達が出来て、良い年であった。来年はそれが実を結んでいくにちがいない。無農薬百パーセントの野菜を作り、いろんな会の仲間に売り、チップ農法を普及させていき、日本共産党の官僚主義やエホバの証人の教義に改革を与えるかもしれない。

 今年もこのHPを読んでいただきありがとうございました。来年は読者とのやり取りが出来るように考えたいと思います。

永山則夫さんの死刑を弔う。

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日記
執筆 : 
nakamura 2017-12-25 20:22

 わたしと同世代の人は連続射殺魔として彼の名前を憶えているであろう。四人もの警備員をピストルで撃ち殺し、逮捕され、死刑囚として刑務所で生きていたが、20十年前、死刑が執行されたのであった。今日がその日から二十年目であることから鎌田というルポライターが今日の朝刊に、「根は今も」という題で彼の事や今の時代を書いている。わたしは懐かしさと同時に自分の時代が終わったことを感じた。

 永山さんは当時、青森から集団就職で上京し、底辺の労働をしていたが、19歳で無縁の人を殺した。事件は大きく報道されたが、彼は独房の中で多くの本を読み、貧乏が自分を殺人に走らせたと考え、評論(無知の涙)や小説(木橋)を書き、(木橋)は新日本文学賞をとった。わたしは大学卒業後、臨時工の仕事をしていて、東京・東中野にあった新日本文学学校に通っていて、(木橋)の合評会に出ていた。(殺人者が文学賞をもらう資格はない)と生徒からの意見があった。わたしがその作品を読んだ時、何と拙い文章であろうと反発を覚えていたが、読み進むうちに作者が独房の中で故郷を思い、母親と駅員の不倫の現場など思い出して描く熱意に心を打たれた。子供の描く絵と同じく、拙ければ拙いほど作品は生き、輝きを放っており、わたしは殺人者であるから書く資格はない、とは言い切れないと考えた。

 彼が賃金奴隷であったのであれば、私は受験奴隷であった。どちらも青春を時代に売り渡し、幸せではなかった。ある時、私がビルの建設現場でコンクリート破片や木の屑を集める仕事をしていた時であった。仕事を終え、飯場で夕食を済ませて、ある部屋の前を通りかかって、驚いた。大広間に四十人近い子供がきちんと並んで寝ていたのであった。何事かわからず、関心も消えて通り過ぎたが後になってわかった。集団就職で上京し、建設現場で働いていた中卒者たちが早めに寝に就いていたのであった。遊び盛りの彼らが3K(きつい、汚い、危険)の仕事をしていたことに思いついて、わたしは胸を打たれていた。

 永山則夫さんはその子供たちの中の一人であったのだ。(無知の涙)の中で、貧乏が自分を殺人に走らせた、と書いていたがわたしは理解出来ず、言い訳だと考えていたが(木橋)を読んでの感動は忘れられなかった。

 ルポタイターの鎌田さんは大学卒業後、トヨタ自動車に季節工として入り、自動車組み立て労働をしながら、(自動車絶望工場)を書いた。わたしは日産自動車に季節工として入り、自動車組み立て労働をしながら世に出ない小説を書いていた。

 

 

スマホは聖書になった。

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日記
執筆 : 
nakamura 2017-12-23 22:55

 昨日はSさんから電話が入り、13時にいつもの衣料品店の駐車場で待ち合わせ、車の中で論議をすることになった。論議、と言っても彼にとってはエホバの証人の布教活動なのであり、私にとっては、宗教及びエホバの証人の研究である。わたしは(人間や神の行うことは間違いが多く、AIが神になりますよ)と訴えるつもりであった。

 Sさん夫婦は約束の時間に駐車場にやって来た。わたしは後部席に乗りこみ、Sさんと隣り合わせに座った。彼は聖書の内容の全体を知るためにはこの本が良いのです、と言って(聖書は実際に何を教えていますか)と言う本を私に開かせ、第一章から朗読することを求め、わたしは読んでいった。日曜礼拝と同じように、下段に質問と答えが用意されていて、答えは読んだ文章の中に書いてあるのだった。彼は質問し、わたしは答えたが、(神に関する真理とは何ですか)などの質問に対しても(求めつづけなさい。そうすれば与えられます)と言ったようなありきたりの答えしか書いていない。

 わたしは言った。

 「モルモン教は一夫多妻を行うが、あなたたちの宗派はそれを淫行と言って否定している。同じキリスト教で使っている聖書も同じなのに何故そんな食い違いが起きるのか?」

 「モルモン教徒は聖書を読んでいないからですよ」

 「物理化学の法則や方程式にはそんな間違いは絶対に起こらないから、わたしはそちらの方が真理だと思います」

 私の言葉に彼らの反論はなかった。

 「聖書に法則や方程式は無くても金言やしんごんじみたものがあればそれは真理でしょう」

 私は言い、(求めつづけなさい。そうすれば与えられます)と言う言葉は(求めよさらば与えられん)と言う言葉で記憶していたことを思い出した。

 電車の中でも、待合室でも歩きながらでもスマホを見ている者が多数を占めるようになっている。(金欠病で苦しんでいますがどうすれば良いでしょうか?)と打ち込めば、(働いてみますか?どんな仕事が希望ですか?)と返事が返り、仕事を探してくれるだろうし、(一人ぽっちで寂しい)と打ち込めば出会い系サイトを紹介してくれるであろう。

 エホバの証人たちがいつも聖書を持ち歩き、不安や疑問があったら開いて相談や助けを求めるように今はスマホが聖書になってきている。

 「やがて、AIが神にとって代わりますよ」

 私が言うと、「AIもけっきょくは人の造ったものです」

 Aさんは応えた。

 「パソコンやスマホは正確に打ち込めばほとんど間違いなく答えてくれる。知性が純粋培養されたものですよ。だから人間を超えていきます」

 わたしは言って、それが神になっていく、と信じた。

 

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