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この言葉は貧乏だった学生のころ、ある学友が口にしたものです。わたしに糖尿病の気がある今、ダイエットしてて空腹を覚えるとき脳裏によみがえります。腹がへればへるほど、次にに食べるものは美味しく感じる、ということで、それはどんな料理にも勝るというわけです。(腹八部めに医者要らず)などと昔の人は言っていましたから、飽食の今の時代にもう一度大事にしたい言葉です。
わたしの大それた狙いはこのタイトルにあります。実際、私の人生と思考、感情は直線的なものではなく、矛盾対立、螺旋状、反転対称形など常識人がみればまさに狂っていたわけですが、量子力学における(スリット現象)や(シュレディンガーの猫)における(死んでもいるし、生きてもいる)などの現象をひもとくとその物質の世界と非常にマッチするのです。つまり、現代社会の秩序は直線的理論にもとづいていて必然的に破綻する運命にあるから、量子力学観点から再構成する必要があるのではないでしょうか?
60歳を過ぎてそんなことがわかりました。(元服)という言葉を知ってますか?奈良時代に12歳前後で成人した男子の儀式なのです。服装、髪型、名前を変えるわけですが、そこに切腹の作法が入っていたのです。つまり、その若さで(死)を教えるのです。現代人からみれば(なんと残酷な)と考えるかもしれませんが、(死)を教えることで(生)を教えたのです。世界的にも珍しい儀式です。
今は死んではいけない、苦しんではいけない、悩んではいけないという時代ですが、それは逆に生きることを否定してるようなものです。(死)の悩みがある程度解決できれば人生の悩みの大半はなくなります。(元服)の儀式に見られるようにまず(死ぬことも大事である)という考えをひきうけてみようではありませんか?
この前、宗像市のある団地を訪問しました。奥さんが出てきて、用件が終わると、長話を始めました。ご主人と二人で家の中にいて、ストレスがたまっていたのでしょう、こちらからたずねなくても話し続けるのです。わたしは自分の仕事が大変だというと、(あなたはでも歩けるじゃないですか。わたしの主人は脳出血を起こして体に障害が出て、両側からささえてもらわないと歩けないのですよ)と言い、その話をきいた私はその言葉に自分の立っている場所がわかりました。(近頃、時々膝が痛むことはあるが、ともかく歩ける)と考え、人と話すことで自分の姿が見えました。(うちのは主人は物が二つに見えるのです)(えー?)と不思議に思うと(ほら、この指があるでしょう)奥さんは人差し指を立てました。(ふつうの人は一本にしか見えないのですけど、わたしの主人は脳に障害があるので右目で一本、左目に一本、つまり二本に見えるのです)わたしはおどろいて言葉が出ませんでした。その主人の世界は二進法なのですね。一万円札も二万円なのですね。レアな世界ですが、それを絵に表現できたらすごい絵が出来るなと考えました。そうなると障害者ではなくて希少人というべきじゃないでしょうか?けっきょくこの世は多数派が健常者であり、少数派が障害者みたいな物の見方になっているのではないかと思います。
宗像市吉留の農家で集金して、道にでた。バイクに乗ろうとして、道端に何かを発見した。古びた鍵だったが妙に気になってカメラに収めた。この鍵は倉庫のそばに落ちたまま何をかんがえていたのだろうか?なんてわたしは考えた。自分の歳にこの鍵の歳を重ねてみると、自分自身の姿をみてしまった思いになり、貴重な写真になった。今頃、この鍵はもっと腐食し、ここにあるだろうか?もう一度、訪れ、集金先の80歳のおじいさんの顔もみたいな。花が好きな人で広い庭に珍しい花がたくさん植えてあったな。
取り残されたポットは主の気配を漂わせている。主はこのベンチで休み、ポットのお茶を飲み、離れた位置からこの写真を撮っている。お茶を飲み終えた時に、この写真の光景を予想し、数分先の未来を予想した。自分が去ったベンチとポットに残された自分の気配を感じ自分の姿を見ている。数秒前の過去と現在が重なり合い、と言うより両者は同じ時間の中にいて、過去も現在も未来も実は同じ次元の中にいるのである。
8月6日の灯篭祭りの夜です。10人近い子供たちが集まりました。原田さんが作った竹の灯篭、いろんなデザインのが15本くらいありました。そのなかにロウソクの炎を入れ、夜が来て輝きが増すと、すごく幻想的でした。女の人たちが手作りしたウドンをいただき、畑でとれたカボチャとゴーヤ、ナスの煮付けを食べました。野菜の育て方などの話をし、子供たちは灯篭の炎によろこんで行ったり来たりして、思い深い夜でした。
7月9日の(七夕まつり)はわたしの弟も参加しました。(お金が欲しい)とか(自給自足の生活を手にいれたい)などと願い事を書いて竹ざおを掲げましたが、はたして願いは届いたでしょうか?子供たちも大人たちも真面目な顔をしていろんな願い事を書いていました。
集金の仕事をしている私は毎日いろんな人と出会ってきました。原田さんとの出会いは不思議で、半ば夢をみたように感じられます。宗像市の農村の廃屋、そこに人の気配をみつけ、さっそく駆けつけたところ、現れたのが原田さんでした。わたしは仕事のことより人物のほうに興味をひかれ、赤土を山から運び、雨漏りしている屋根にぬって瓦を葺き替えたり、崩れた壁に泥を塗ったりして、古民家再生をしている姿を見、自分がやりたかったことをしてくれていることがわかりました。その行動に潜んでいる精神に共感したのです。捨てられた古板を見つけては磨き、筆で(愛、夢)と書いて命を与えてあげる、それを詩に書く、そんな優しさと大らかさがわたしの波動とすごく共振し、まさに(自他正同)の経験をさせてもらったのです。原田さんの慈愛のたまものであるその納屋はギャラリーとして完成しつつあります。(詩を食べる店)という名前でなんともロマンチックではありませんか!その中で座ってコーヒーをいただいた時は彼のオーラに包まれ、別世界に行ったような至高の幸福感に満たされました。自分の人生においても稀有な経験でした。
もっと近づき、原田・ワールドに入っていきたいと思います。