ブログ - 202502のエントリ
先ほど、布団の中から抜け出して、起き上がった。両手を後ろについてやっとの思いで立ち上がり、椅子の背中につかまって立ち上がった。病気ではない健康体であるが、78歳の加齢が起き上がることを拒んでいる。天国のように温い布団は数年先には棺桶に変わっているであろう。
こんなおれの姿を君はそ想像することもできないはずだ。五十年前、君が大阪の実家に戻って以来、なんどか電話くれたようだがおれは仕事でいなかった。当時、携帯電話はなかった。きみの実家の固定電話にかけることは躊躇された。あの出来事を君の両親に知られることが怖かった。
いまこうしてパソコンを打っている時、壁の柱時計はあの頃とおなじ動きで時を打っている。これが仕事だといわんばかりの顔である。五十年前はそうではなかった。三度も自殺未遂をした君が、助けを求めておれの家に転がり込み、合計一か月近くも、一緒に過ごしたのであった。食事を作り、五右衛門風呂に入れ、夜は君の部屋に内カギをかけ、俺の侵入をできないようにして眠らせた。君は違う男の女であった。別れ話に腹を立て、自殺をしに大阪から九州までやってきいたのであった。男は出張で不在であった。おれとお前の生活は、密室に閉じ込められた男と女であった。
俺とお前が黙り込んだまま、汚い食堂間に腰を下ろしている時、柱の時計は仕事をしていた。素知らぬ顔で秒針を打っていた。
(あの音を聞いてたらわたし、気が狂いそうやわ)
君はつぶやいたが、ふたりを取り持っているのいるのは、その音でしかなかった。
今日は大雪の予報が出て、配食の仕事は中止で、産直店は休日という連絡があった。雪は大雪にはまだならず、庭のあちこちに積もっているだけである。部屋の気温は五度で、暖房はつけていない。
二月であるがあと一か月もしないうちに三月になり、季節に希望が見えてくる。カート整理の仕事では一人が病気になり、欠員ができている。老人たちが眼前から一人ずつ、神隠しにあったように消えてっている。つぎはおれの番だと考えながら、訪れてこない。自分には見えないだけで予知表には入っているのである。アルバイトのない日は畑の草むしりや堀り起こしをし、春の種まきのことを考えている。専業農家のようにはうまく作れないので作りやすいものを選ぶ。今年はまくわ瓜をたくさん育ててみようと思うがアナグマに食われやしないかと心配になる。ニ、三年前はスイカをアナグマに食われて往生した。近頃はは食べ物不足でカラスがトマトをつついたり、柿の実をつついたりして、自分たちの食べ物が奪われている。自然は食いつくされていくばかりだ。
広い家にたった一人の生活であるが、俳句をよんだりして、けっこう充実して生きている。町報に俳句が毎月でるようになって、時々声をかけられることもある。
一週間前、埼玉県八潮市で道路が陥没し、走っていたトラックが大きな穴に落ちた。運転手は発見されず、死亡したものとみなされている。こんな事故が起きるなんて誰も想像しなかったし、専門家たちも予測しかった。道路を走っていて路面が陥没し、穴に落ちたなんて、まるでSFの世界の話である。
それにこんな事故があちこちで起きる可能性があるのである。他人事ではないし、防止もできないようだ。外国ではどうなっているのだろうか?
よく考えてみると、これは天災ではなく人災なのである。百年ほど前までは、風呂水や洗濯水、糞尿は畑に流したり埋めたりしていた。汚水は土壌に吸収されて浄化され、地下水になって、人が飲んでいた。だから、余剰物も害もなかった。下水道を作って便利になり、清潔になったように見えて、思わぬところに害になって跳ね返ってきた。環境破壊のすべては人災なのである。
これからは風呂水も洗濯水も庭に流してやったほうが良い。