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人の数だけ真理がある

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日記
執筆 : 
nakamura 2012-1-16 15:10

真理は一つであるしそうでなければならないことは知ってらっしゃいますね。一つであれば戦争も争いも起こらないはずなのにそれらが絶えた時代はないし、宗教さえ争うのだから真理が一つであることは理想的な意味合いであろう。

ある日、集金先の家の前にバイクを停めました。玄関先を見ました。ご主人が庭木の剪定をしているのが見え、いつか自分もあんな身分になりたいとうらやましくなっていました。(こんにちは、お世話になっています)と声をかけながら、門扉を開けると奥さんが(ちょっと待ってくださいね)といって財布をとりに家の中に入りました。ご主人は私を見つめていました。なにか苦情をいわれるのかな?と考えていると、(私はあなたがうらやましい)というのでびっくりしていると(私はあなた、ゲート・ボールをしたり散歩をしたりして、一日をつぶすのが大変なのですよ)と言うのです。

私は返す言葉がありませんでした。

どちらも自分の生活に不満を持っていて、相手の生活をうらやましがっている。どちらが本当であり真理なのだろうかと考えると、どちらも真理である、という言葉しか返ってこないでしょう。人間はどうしても自分を中心にしてしか考えれないようになっているのです。そこでその主人が集金の仕事を始めたとすれば私の心境になるでしょうし、私が剪定をする立場になれば主人の心境になるでしょう。その時の状況で人間の心理はどのようにでも変わる。

世界や社会の動き、人間関係などをこのような視点からみると意外にわかりやすいと思う。

前にも似たようなブログを書いています。

最悪事態にそなえよ

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日記
執筆 : 
nakamura 2012-1-3 21:21

施設を出たり入ったりしている人から相談を受けました。働いて更正するから出してくれ、というのです。こんなことは3、4回も繰り返したかなと思い、退院後の生活のシュミレーションをしてみろと言うと、求人広告をみると募集があった、と張り切っていうのです。前回もそうだったな、今度は経済的に余裕ができてるからだいじょうぶかもしれないと思い、自力更生をさせてみようということになりました。

サイクリングをしながら、そのことに思いをめぐらせていると、先ほどのシュミレーションの中で自分は彼の最悪事態へのそなえをききたかったことに気がつきました。彼がそれを口にすれば自分はだいじょうぶだと太鼓判を押したのにその言葉が出なかったことがきがかりになりました。

東北大震災の場合もそうです。国や東電が過去最大の津波へのそなえをしていればあんな事態にはならなかったのです。

さて、今年は経済の悪化で日本が破綻するかもしれないと新聞にも書いてありましたね。そのそなえは出来ているでしょうか?スーパーインフレになり大根一本が千円なんていうことも想定されます。農家と親しくなっておく、あるいは畑地を買っておくなどいろんな方策がありますが、最悪事態へのそなえが出来たもののみが生き残るのです。東北大震災から真剣に学んでおきましょう。

お化粧社会の物足りなさ

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日記
執筆 : 
nakamura 2012-1-3 1:36

テレビに出る出演者の鼻や電車の中で見かける人の鼻がいつの間にか高く細くなり、西洋型になっている。その数が異常に多いと感じるのは私だけであろうか?女ばかりでなく男もそうである。

(トイレをいつもきれいに使っていただいてありがとうございます)という言葉、あるいは本屋の若い店員が客ではなく、本棚を見つめて(ありがとうございます!)と叫ぶ姿などはこの社会がどのように変わっていくか私の観察眼をじゅうぶんに満足させてくれる。写真雑誌をみても、高画質で洗練されすぎた写真には感嘆をおぼえるが同時に何かちがうな?という違和感をおぼえさせる。絵画には荒々しいタッチというのがあるのだからそのタッチで生々しさや原質のもつ生命力を訴えても良いのではないか。どれもこれもお化粧ばかりして、何かを失っている。(イノシシが街中に現れました。捕獲して山にかえしてあげました)と美談を報道しても屠殺される牛は野に返すことはしないし、屠殺の現場を報道したりはしない。彼らは食用であるから身分がちがうのである。

この方向性の先には何があるのだろうか?虚飾社会の歪がとんでもない事件を起こし、人間がますます自然力をうしない、衰退していく未来しかみえない。実はわたしは会社の中でつぎのように言われたことがあるのです。(あなたは今の時代に生まれてくるべき人間ではなかった)その言葉は日頃自分で思っていたことなので、おどろきながらもすごく納得し、満足しました。誉め言葉と解釈してますますレアに磨きをかけるつもりです。

ついでに書くと、わたしがもっとも好きな作品はジャック・ロンドンの「荒野の叫び」です。

新春独断会(?)?神の視点

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日記
執筆 : 
nakamura 2012-1-2 12:57

2012年1月1日、わたしは部屋の中でごろりとしていた。テレビでNHKスペシャル「目指せ!ニッポン復活閉塞感打破の処方せん」を観ていたが、途中でスイッチを切った。番組で(現場力)をとりあげ、事業家や大学教授が出演して良い話をしていたが、このことと大きなテーマ、つまり環境破壊ー人類絶滅とはどのように関わるのか?という疑問がわいたからである。NHKにこのことを問い合わせれば、(そのテーマは別の番組で放送します)とこたえるであろう。セクト主義なのである。他のメディアを含めNHKもそのやり方で長年番組作りをしてきたから疑惑がわいたのである。一番大事なことはそれが全体とどんな関係性を持っているのかをはっきりさせなければ無意味ではないか。あちらが良くなればこちらが悪くなるといったモグラたたきを長年見せつけられたと思い返した。

全体と部分との関係でみれば、政治の世界をふくめ(今が良ければ良い)という刹那主義でやったきた。そのつけが東北大震災であった。そのことに気づき、NHKをふくめマスコミ全体も変わらなければならないのが変わっていない。今年も同じベクトルでやっていくつもりだろうか?

個人の生き方でみれば、自分自身への反省をこめてのことだが、(自己の死)の視点から現在の自分の生活状況をみればよく見えてくるし、(なんでこんなことで悩んでるんだ)ということが多い。もっとやっておかなければならないことがある、ということになる。それは神の視点といえる、大それたことを言うが。

今年はそのことを踏まえて生きていきたい。

今、紅白歌合戦をテレビでみ、ガガさんの歌詞に耳をかたむけながら考えた。その歌詞に(産まれた時は爛漫であった?)というような言葉をきいて思いついた。東北大震災の報道は放射能汚染のレベルとか生活の復旧のことが中心になっていて、それはそれでだいじなことであるが精神的な部分が見落とされていないのではないかと。はっきり言えば、精神的な復興とは人間の命とは消えるものそして生活も消えてしまう、そのことを自覚して生きていこうということではないか、と勝手に考える。

個人的なことをいえば、2010年12月31日に竹の子山で狭心症を発作を起こした。まわりには誰もおらず、体が動かなくなって顔から冷や汗をたらしながら、ミカンの木のそばまで歩き、実をもぎ取って食べた。少しずつ回復していった。その時は死を覚悟し、受け入れていたし、今もその心境である。

人生は生きる上において自己を殺し、脱皮してなんども産まれ変わることである。それがわかった者のみが生き残る。

2011年の終わりを一時間半後にひかえてそんなことを考えた次第です。

2012年の夢

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日記
執筆 : 
nakamura 2011-12-31 6:08

わたしの残りの人生はあと10?15年だと予想する。確実な活用をしないと悔いが残るので、来年の夢をここで書き、初詣をするまでもなく祈願しておこう。

    1?レア会員を増やし、一宿一飯運動を展開する。

    2?小説「火炎」の全篇掲載

    3?ワゴン車の中で寝泊りしながら撮影旅行をする

    4?現在は北九州自然史博物館の会員であるが、まったく活動はしていない。「動植物の情報   伝達方法」というテーマをもうけ、研究教室をつくる。

 

  以上です。

 このホームページを9月に開いて以来、延べ1000人ちかい方々に閲覧していただきほんとうにありがとうございました。毎日、パソコンを開くと閲覧者数をみるのが楽しみになりました。

 来年もよろしくお願いします。

   

              中村行雄

人的資源

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日記
執筆 : 
nakamura 2011-12-30 8:11

わたしの周囲をみると働かずに飯を食っているものが多い。わたしの母はこう言っていた、(働かざるもの食うべからず)と。動物の世界で働かない(餌とり活動)をしないものは死ぬことになっているが、人間界とは不思議なものである。延命治療までして生きながらえさせている。うがった見方をすれば人権を盾にした医療業界のメシの種であろうか。

囚人や精神障害者たちも労働に準じた活動をしているし、悪質な交通違反者たちもボランティア活動で刑を少なくしてもらっているから、人的資源の活用はめずらしいことではない。だが囚人や精神障害者たちに使う血税はそうとうな費用になるから、もっと彼らの人的資源を有効活用し、国家財政の出費を抑え、社会参加の実績でかれらに自信を持たせるべきである。刑務所を民営化しているところもあるのだから、規制緩和をもっとして民活を取り入れるべきである。小泉の構造改革は派遣制度によって弱者をいためつけたが、こういうことに創意工夫を発揮すべきであったのだ。そろそろ本当のことを言って実行しないと未来は見えてこない。

生活保護は貸付制度にすべきである

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日記
執筆 : 
nakamura 2011-12-30 7:42

経済の悪化が進行し、生活保護の受給世帯が急増している。300万世帯、400万世帯になるだろうともいわれているが、このまま増大すれば国家破産の主因になるかもしれない。誰しも生きていたいわけだからそれを否定するわけではないが、政治家たちの無能ぶり、思考力の欠落に唖然とするばかりである。(子供手当て)のことだってまだ決着をつけきらない。人気とりの政権だからそんなものであろう。もともと国家予算なんて血税であり政治家どもの金ではない。生活保護は選挙の票につながるものだからそれに手をつけるなんて想像もしないであろう。かれらのメシの種なのである。

労働者達が働いた金をそう簡単に使ってもらっては困る。貸付制度にし、受給者たちが職についたらわずかでもいいから、返済させるべきである。返済できなければ彼らの子孫にまでツケを残すべきである。

橋下知事とレア性

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日記
執筆 : 
nakamura 2011-12-29 20:08

わたしは橋下知事の言動を彼が有名になる前から注目し、賛同していました。週刊誌などは売れんがために(ハシズム)と書いたり、彼の出自をあばいたりしていました。が、これからは(平成の竜馬)だと持ち上げ、売り上げを伸ばそうとするでしょう。太平洋戦争をはじめてとして国民はこのようにしてマスコミの食い物にされたのです。国家もふくめてマスコミも共同正犯者であることはちがいありません。

政界にも新党結成の動きがではじめ、来年は山が大きく動くかもしれません。ただ気になるのは橋下知事がかれら利権政治家にとりこまれ、レア性(希少性)を薄められ、あるいは失うのではないかという懸念です。彼を知事に選んだ大阪市民は利益供与の政治(就職の斡旋や仕事を与えるなど)ではなく本当の政治を選んだのだとおもいます。政治家にとって、次の国政における当選マニュアルは国民への利益供与ではなく、本当の政治であるし、そうでなければ当選できないということなのです。

消費税アップは当然必要です。与党は消費税アップに有権者が反対し自分達の評価が下がると判断しているのでしょうが、そうではないのです。本当の政治家であれば次のように考え、行動するでしょう。食料品など生存に必要な商品には税金をかけず、特権階級(政治家、公務員、皇室など)から税金を多くとり、自らが痛みをわかちあうのです。それから国民に増税をお願いする。

橋下氏が初志をつらぬくことを期待しています。

今日は酔っぱらっている。

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日記
執筆 : 
nakamura 2011-12-27 2:46

そのことをご勘弁願いたい。酔っぱらって話せる相手がほんとうの友である。年齢や性別を超えてである。若い人はこれからいろんな人に出会うだろうが、酒をのんでとことん話せる相手はまず信用して間違いないだろう。素面で多弁で口当たりのいい相手はまず警戒すべきである。どことなくとっつきにくくて、硬い相手は信用して良い。これは男と男、男と女の関係においてそうである。

いくら金があっても人と付き合えない相手は不幸である。自分を構え、良いようにみせかけなければならない者はそうである。(こんな人間がいたって良いじゃないか)と居直れるかくらいの人間が欲しい。

(心を割ってみよう)そうすれば人間みな兄弟ということがわかるし、人間の生き方なんて一般常識にとらわれた程度のものであるということが十分にわかってくる。

心と心が理解しあえ、いっしょに飯を食い、枕を共にできれば社会でいきることなんてどこがむずかしいか?考えて見れば簡単なことじゃないか。腹が減ったら飯をくいにきませんか?泊まるところがなかったら泊まりにきませんか?話し相手がなかったら話に来ませんか。それでじゅうぶん間にあうことじゃないですか?

この社会においてなぜそんなことが出来ないんでしょうか?

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