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弱さは強さである

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日記
執筆 : 
nakamura 2011-11-23 22:26

30年間も畑作りをしていると自然から学ぶことが多い。野菜作りはいつまでも我流で、素人の域を出ませんが、新しい発見はたくさんあります。

雑草の王者はいくつかありますが、今回はドクダミとヤブガラシを登場させます。どちらもNO1,NO2を争う覇者ですが、その繁殖の仕方は次元の異なるやり方であります。ヤブガラシの根の強さは相当なもので畑で成長した場合、片手で引っ張っても引き抜けません。ドクダミの根は弱くすぐに切れます。ヤブガラシがほぼ一直線上に伸びるのにたいして、ドクダミは格子状に伸びていきます。人間世界の観点にしたがうとヤブガラシは強くくてドクダミは弱い、ということになるでしょうが、自然界においては逆なのです。ヤブガラシは強く引くと切れるのでせいぜい二倍の繁殖力ですよね。ドクダミはいくつにも切れ、格子状に根を張って増えていくのでその数倍に増えていきます。(貧乏人の子だくさん)です。雑草の茂った畑をみるとわかるようにドクダミの数とヤブガラシの数はほぼ100対1の繁殖力の差があります。根が切れやすいからいくらでも増えていくのです。

人間世界の中で(わたしは弱い人間で困っています)という人がいたら上記に例を考えたらいいと思います。?弱さは強さになるのです。

 

日本株式会社

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日記
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nakamura 2011-11-19 0:21

この言葉はおよそ40年前に流行し、否定的なニュアンスがあった。株式会社は利益を追求し、公益性を考えない身勝手さがあるということだった。左翼がブームになっていた時代である。小泉の構造改革は今では悪評のきわみになっているが、(官と民の格差をなくす)というテーマでは時代のニーズにあっている。

官と民のちがいとはいったいなんであろうか?官は公共性を目指し、民は目先の利益を優先すると判断しているのだろうが、民間会社だって目先の利益より将来の利益・公共性を真剣に考えている。今の時代において、エコをはじめとして公共性を無視する法人というのは暴力団をのぞいて成立しえない。

官と民のちがいなんてありはしない。

地方公共団体は税金を取ることよりも株券を発行しろ、と言いたい。そうすれば本当に住みやすい市や県の株価は上がるであろうし、公務員は特権階級より公僕という意識を持つようになるであろう。この町や市をどのような作品にするか真剣に考え、競争心もわいてくる。

国自体が株式会社になったとする。そうすれば株券さえ買えば、自分の好きな国の住人になれる。そんなことになれば素晴らしいことではないでしょうか?ブータンの国の株価はすごい高値になるのではないでしょうか?

アメリカと北朝鮮は反転対称形である

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日記
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nakamura 2011-11-18 15:51

1ケ月ほど前のテレビのニュースのことです。アメリカのある州の生活が報道され、5世帯に一世帯が食事をする金がなく、無料提供する施設に行って食事をすませるということでした。テントを張った土地が写しだされ、そこで寝泊りしながらタクシー運転手の仕事にかよう男性のインタビューもありました。アメリカで格差社会のデモがあったことはニュースで知っていますがここまでひどいとは思いませんでした。これが先端をいく(人権・民主主義教)の覇権国家の実態なのです。

 他方、まだ第二次世界大戦の終戦を迎えずに戦い続ける北朝鮮。最期の独裁国家、金王朝の国、いや宗教国家だのと言われ、珍奇さにおいては類をみない北朝鮮は多くの人民が飢えて、餓死者も出ているという。一方の先進国と他方の後進国(!)が国民生活においてシンクロナイズしている。これは(シェルドレイクの仮説)かもしれない。時空を超えて理由もなく同じ形態が発生するという理論であるが。

あるいは鍵と鍵穴のように反転させて合わせるとぴったりはまる(反転対称形)と呼べるであろう。が、どちらにも共通しているのは国体を宗教のように信じ込み、信じ込まされているということである。つねに戦争をしているかそれに近い緊張状態がないと国体が維持できないということである。

月夜に甘くなる渋柿

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日記
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nakamura 2011-11-18 15:22

(渋柿は時空を超える)の続きになりますが、人里離れた所で育った渋柿はどうなるのか?干し柿をつくってくれる人間がいないではないか?という疑問がわき、それはその通りで、その柿は時空を超えることが出来ず、その場で熟して種を落とすしかないでしょう。

渋柿、フユウ柿、月夜柿、チンガラ柿などいろいろ種類がありますが母から聞いた話を思い出しました。いつもは渋柿なのだが月夜になると甘くなるというのです。不思議ですね、女性の生理が潮の満ち欠けとシンクロナイズするという話は知っていますが、なぜ月夜のときだけ甘くなるのでしょうか?

どなたかご存知の方は教えてください。

渋柿は時空を超える?

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日記
執筆 : 
nakamura 2011-11-15 21:58

私の家には柿の木が10本ほどありますが、実のなりかたも木の大きさも樹齢もそれぞれちがいます。今年も車庫の屋根から伸びた渋柿は鈴なりでした。屋根に上って右手、左手と伸ばし、取り放題で、はじめて産直の店に出荷しました。5kg入りの袋で30袋くらいとれました。

そこで想像したのです。なぜ、渋柿と甘柿があるのか?不思議とは思いませんか?果樹の中で甘いのと渋いのが別れてるなんてあまり聞いたことはありませんよね。私の想像では最初は甘柿があって、鳥が実を食べ、種を落としたり糞に混じって遠くに運んだのです。と考えましたが種は大きすぎて飲み込めません。食べるときに種を落とし、遠くに運ばれることはありません。(種を保存)するには遠くに運ばれ、広がらせねばならないのです。

そこで甘柿のDNAは考えたのです。渋柿をつくってみよう。そうすると人間という生き物はそれに手を加え、皮をむいて日に吊るし、保存食にするだろう。魚の干物や燻製を作っている人間の行為を横目にして考えました。

渋柿を誕生させました。人間は口にいれると最初は吐き出していましたが、日に吊るすと甘くなることを知ました。干し柿づくりを成功させました。食べたいときに食べ、あるいは遠出するときに持参し、そこで食べて種を吐き出しました。

甘柿のDNAが考えたとおり、種は時空を超えて芽をだし、繁栄することに成功したのです。

人を襲うイノシシはテロリストである

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日記
執筆 : 
nakamura 2011-11-13 20:30

イノシシや熊が人家に降りてき、食べ物をあさったり人を襲うことは日常的になってしまった。ハンターに撃たれて死体を写真でさらし、無残な姿を見せつけられ、そこに哀れみをいだくのは私だけでしょうか?かれらがいったいどんな悪いことをしたというのでしょうか?人間達に自分の縄張りを侵略され、すみかも餌もなくなり、どうしてくれるのか!という怒りを私は感じる。

そこでかれらは人間を襲い、無差別テロに走るのです。

私達はその警告に耳を傾けなければならない。共存共栄なのです。

隣の農家の主人は機械で田植えを終えると、あぜ道に除草剤をまきます。草が枯れて無残な姿を見せます。毒を使って植物を殺戮をするのです。それを草刈り機でかりとり、キレイにします。彼は毒が水生昆虫やカエルなどを殺すことを考えないのでしょうか。さらに稲にしみこんで人の口のなかに入ることを考えないのでしょか?ともかくキレイになればいいのでしょうね?

キレイキレイの発想が自然を破壊しているのです。春秋のいい気候のときに車のドアを締め切り、エア・コンで除湿をする人はその行為が地球のオゾン層破壊になっていることを考えないのでしょうか?

えらそうなことを書きましたが日常生活から変えていきたいと思います。

 

一宿一飯について

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日記
執筆 : 
nakamura 2011-11-13 12:00

一宿一飯とは江戸時代の侠客の世界にあった制度である。不始末を犯した者が家出をし、宿も食い物もないとき、初めての侠客一家を訪れ、仁義を切って、一宿一飯に預かり、その恩義ゆえに一家と対立する敵方を殺すこともあったという。ヤクザ映画に出てくる(義理と人情)の世界だが、知人もいったがある意味で福祉制度でもある。見知らぬ者を泊め、食事まで出す制度や習慣が今の世界にあるだろうか?わたしの知ってる範囲内ではないのです。この(人権、民主主義)を標榜する時代にあってですよ。

戦争に負けたからといって、何でもかんでも壊されてしまったことがこれでわかります。封建時代といいながらもそこには(あわれみ)という情緒があって福祉やボランティアに代わるものはいくらでもあったのです。(すべてか?無か?)という欧米の直線理論的思考に支配されるとこのようになってしまうのです。

民間でホームステイと言う名で一宿一飯を実行してみてはどうでしょうか?夢かもしれませんが、それが実行できたとすればこの日本はすごく住みやすい国になり、幸福度においてブータンをこえるかもしれません。

写真家は災害現場に芸術を撮る

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日記
執筆 : 
nakamura 2011-11-13 11:41

戦争や自然災害、火事の現場には凄まじいエネルギーの爪あとがじゅうぶんに残されている。新聞や週刊誌に写真が掲載されると、読者は驚き嘆き、自分にふりかからなかったことに安堵する。日常が非日常に変り、隠れていた世界が現実感をこえてあらわにされ、潜んでいた物の正体を見せつけられてしまう。想像力を超えたエネルギーが読者に迫り、ヤワな芸術家の創造力などあしもとにも及ばない。あの福島原発の被害現場。ビルの屋上に大きなフェリーボートが載っていたり、ビルの窓ガラスがすべてなくなり、きれいな壁が無数の爪で引っかかれていたり、まさに悪魔の仕業としかいいようがない。

(ダリの絵)を思い出したのは私だけであろうか?

(芸術は爆発だ!)と叫んだ画家がいたが、(芸術とはエネルギーの表現だ)とわたしはおもう。エネルギーのさまざまな色合い、力を簡潔にあるいは微妙に表現できるものが芸術家であり、そこには善悪などの既成概念は入り込まない。

すべての人間、どんな人間でも、こんな私でも、さらに動植物、物はエネルギーをもっており、それはとらえ方加工の仕方で芸術になりえると考える。その意味でもそれらはすべて平等である。(一粒の麦も死なずば)(一寸の虫にも五分の魂)などという言葉はそのことを言い当てている。

 

マイ・ダーリンと言われた日、呼ばれる日

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執筆 : 
nakamura 2011-11-10 22:11

23年1月、3月と狭心症の治療のため、入院しました。40年ぶりの入院だったので、病気のことよりも病院じたいに興味が湧きました。濃い化粧の女の人達が動きまわっていて、・・店に入ったみたいで病室も明るく、刺激的でした。1月は一ヶ月間すごして風船治療をしてもらい、3月はカテーテル治療をしてもらいましたが、あと2本問題のある血管があるということでした。患者さんとの人生談義も面白く、看護婦さんたちとの雑談も面白く、病院生活が楽しく、退院するのがいやになりました。

 カテーテル治療を終えて手術室から出た時はベットに寝たままで看護婦さんが病室まで搬送してくれ、着くと看護婦さんたちがわたしを取り囲んでくれ、VIP並みのお迎えでした。その中で私をマイ・ダーリンと呼んでくれた看護婦さんがいて夜の巡回の時、私のベットのそばに立って、寝ている私の手を握ってくれ、(こんなときなんて言ったらいいのかなあ?)って聞くと(マイ・ハニーっていうのよ)と言われそう返しました。うれしかったです。

退院の日の朝、彼女は夜勤勤務で疲れ、(お腹がすいた)っていうので(あなた憔悴した顔してるからボクの車で送ってあげようか?)って聞くと、(明日はおばあちゃんちに用事があるけん)とこたえ、(どうせまた病院にくるやろう?)って言う言葉を残し、手を握って別れたのです。

その言葉は私の病状を予期しての言葉なのか期待感なのか思い迷いますが、もしかしたら顧客としての言葉かもしれません。(マイ・ダーリン)と呼ばれる日を心の底で待っている自分がわかるのです。

 

 

自然の意志

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日記
執筆 : 
nakamura 2011-11-7 22:09

人間や動植物には生存本能、繁殖本能があります。植物にも知性、意識があります。それは変だと思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、例えばヒッツキボウです。野原を歩いているとズボンに種がくっついてあとで取るのに苦労したことがあるでしょう。種が遠くに運ばれ、地に落ち芽をだすことを考えてあんな形になったのです。ということは植物が(思考)したのです。人間のはくズボンは綿であり、動物が毛で覆われていることを知っているからそれらに引っ付きやすい形にしあげたのです。人間が違う種類の衣服を身につけるようになればヒッツキボウの形もかわっていくでしょう。

人間、動植物、生命体、それらの意志と意識の総和が自然の意志、意識になり、ベクトルを持つとおもいます。その中でかれらの生存、繁殖を脅かすものが人間だとなれば、人間は人間自身と自然のベクトルから攻撃されます。それは大流行しているウツ病や自殺、暴力、戦争というかたちになって出ているのです。わたしは宗教を否定しますが、この自然の意志と力は信じます。

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