ブログ - 20260214のエントリ
若いころから宗教には関心があったが、冷やかし半分であった。深くかかわることがなく、日常の出来事に振り回されていたが、十年前に心臓のバイパス手術を受けてから、心臓は誰の力で動いているのか?という疑問にぶつかり、それは全知全能者でしかないと結論づけ、教会に通うようになった。日曜礼拝には欠かさず通い、勉強会にも出て、学んでいった。聖書を読むにつれ、キリスト教の偉大さとすごさが分かった。それは物語文学として読んでも完璧なものであった。
だが、いまいちすっきりと来ないものがあり、それが何かはわからなかった。信者たちに信仰生活や気持ちをたずねても通り一辺倒の答えしかかかえってこない。
一か月前に経済パニックが発生し、このままでは電気も水道も止められることが分かった。親友と考えていた大学時代の男に借金を申し込んだが、返事は来ず、身内からも無視された。牧師にこんな場合、教会は何をくれるのですか?と問うと、食事、宿泊くらいはできます、という言葉がかえってきた。自分は信者ともども最大限の努力はしますという答えを待っていたのであるが、やはりそうだったのか?と落胆した。
同時にその困窮した時に思い浮かんだのは亡くなった母であり、父であった。母に近い信頼を寄せていた叔母であった。
そこにキリストの顔は現れてこなかったのである。神の顔はあるのかないのかわからない。
信者は神の子だというが、ヨーロッパ人の顔をしたイエスが父の顔であるはずはないのである。
やはり、宗教yは勉学の対象でしかないことがわかった。
