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仕事がら街中や住宅街をうろうろするのだが、年の暮れる雰囲気がほとんど感じられない。古賀、福津、宗像なんてまだ片田舎にひとしいせいからかもしれない。クリスマスの気分もただよわず、ツリーもほとんど街中にみられない。多分、東北大震災の影響で人々が自粛しているのだろうが、あまりにもさびしい。
今年を振り返ってみると、なんといっても東北大震災の出来事、その衝撃につきる。そしてわたし自身が二度にわたって狭心症の治療にかかったことである。その二つとも来るべきものが来たということだろう。被災者の方達には軽はずみな言葉であることをお侘びしたい。自分自身にとっては高度成長期の時代に恵まれ、小さな(酒池肉林)生活をおくった代償であったろう。良い時代をおくらせていただきましたが、その代償を若者に残したくはない。団塊世代の一員として本当のことをきちんと伝え、(生まれてきてよかった)という人生を送っていただきたいと思います。
来年もレア創始者として本当のことを書き、写真は(ケハイ)というテーマでとり続けたいとおもいます。
サトイモは虫に食われることがなく、肥料もたいしていらず育てやすい植物です。今年は雑草をよけることもあって40本ちかく植えました。今が収穫の時期です。金タワシで皮をこすりおとしながら、昔は袋にいれて川の流れにつけたもんだ、すると自然に皮がむけたな、などと考えました。親芋はまた来年のために土に戻すわけですが、子芋からすでに芽が出ているのです。(これは成長するのだから食べないで、土の中にまた戻してくださいね。大きい芋をたっぷり食べてください)
サトイモがそんな話をわたしにしてくれたのが感じ取れました。かれらは人間にそだてられていることを知っており、その生き方で末永く繁栄することに決めているのです。
私は仕事がらあらゆる人、あらゆる地域を訪れます。驚くべき人に会い、驚くべき話を耳にすることがあります。
この話は宗像市のある戸建て団地を訪問した時のことです。インターホンを押し、出てきたのは80歳にちかい老婦人でした。どこか元気のない感じでしたが仕事の件は片づき、彼女は身の上話をはじめました。主人と別れてこの家に住むようになったのですが、と彼女は言い、わたしが黙っていると(前の家で主人が庭に除草剤をまいて私を殺そうとしたのです。体の調子がどうもおかしいと思って病院にいくと肝臓をやられていました。主人が雑草をかたづける口実で畑に除草剤をまいたのがわかったのです。わたしはそれを白状させました。息子達も知っています)
私は注意深く耳を傾けていました。
(それに主人はヒロポンを打っているのです)
彼女は言いました。
(ヒロポン?)
わたしはそれが覚醒剤であることは知っていましたがオウム返しに聴きました。
(主人も気の毒な人です。特攻隊員だったのですが、当時死の恐怖に耐えるために若い特攻隊員たちは覚醒剤を打って心を強くしていたのです)
私は驚いて言葉がでませんでした。戦後65年が経っても主人はその習慣から抜け切らず、ヒロポンを打ちつづけたのです。
現実はそんなものだったのです。それに美化された特攻隊員達があの若さで死をよろこんで迎えるなんてでっち上げられた観念だったのです。私は胸が痛みました。
私はバイクで走りながら、彼女の家のそばを通るたびその話をおもいだします。
高齢者への虐待のニュースが今日も報道された。介護施設や家庭内での事であるが、これを物理化学的に考えると高気圧が低気圧の向かって流れ込んだということだ。負圧というのは圧力が低い状態で、高気圧の流れを招くことになり、人間界においては虐待や暴力という言葉になる。背中を向けたとたんに犬やイノシシに襲われるというのは(逃げる)という負圧状態を生じたからである。
高気圧・加害者側もストレスがかかった状態であり、(金持ち喧嘩せず)のことわざがあるように生活に困窮していたり不安をかかえて気持ちに余裕がないのである。
人権主義の手前、マスコミは被害者の立場に立ち、加害者の心理状況を説明することはない。それはそれでしかたないだろうが、上記のような状況も分析しないと被害者の身は守りにくい。身を守るためには出来るだけ負圧を生じさせないことである。イジメや虐待にあいそうになったら大声を出して助けを求める、と同時に大声を出すことによって自己の負圧状態を小さくすることである。
種をまくと新芽を虫に食われることは書きましたが、豆類は食われないだろうと考えてサヤエンドウの種を土に埋めました。一週間ほどで芽がで、そのまま忘れていましたが、一ヶ月目に訪れると元気な葉が出ていました。二十本ほどですが、長さ30センチには成長していました。今度は虫に食われずにすんだ、俺が料理して食べる番だと思いうれしかったです。
ところが一週間後に訪れると二十本ともすべての葉がきれいに食い尽くされていたのです。食べたものの正体を探りましたが見当たりません。たぶん、フランスからやってきた・・虫でしょうが、あることに気づいたのです。虫達は考えたのです。新芽をすぐに食べるより成長するのを待ち、大きくなってから食べよう、とまったく人間とおなじことを考えたのです。
(一寸の虫にも五分の魂)ということわざがあるように東洋思想は奥深いですね。
二ヵ月後にはサヤエンドウの残った茎から芽がで、葉になって成長していきました。生命の力ですね。逆境にもめげなかったのです。
親しい人と雑談をしていて、(私は人を信じない)という言葉が出て、言及しないでいるとその場から消えていきました。話はちがうジャンルにはいっていましたが、私は(するとこの人は私も信じていないのでは?)と疑念を残したまま、帰宅しました。
次の機会に出会ってまた話をはじめていましたが、(人を信じない)という言葉が気にかかった、と言うとその人は笑顔のまま、それは誤解されたかもしれませんがこういうことですよ、と説明をはじめた。
(信じられる立場のほうが辛いと考えるんですよ。期待され、束縛されるでしょう?辛くありませんか?)
(そうですね。なるほど)
(信じません、というと人を傷つけることになりますが、わたしは人を束縛したくないのです)
わたしはうなずき、そのようにとらえる人もいるんだ、と判断しました。
(そんなことはなかなか人には出せない言葉だけど、あなたに言ったということはあなたが気を許せる相手だと思ったからだよ)
もう一人の知人はわたしに言いました。
なるほど、と思いました。誰しも人を信じて裏切られた経験があるでしょうが、自分の心がきままなのだから人の心もそうだと考えたほうがいいでしょう。でも、信じれる人が欲しいですね。
真理は一つである、ことはご存知ですね。わたしもそう思っていたし、そうでなければならないと考えるのですが、飛び込み訪問の仕事をし、労働組合の活動をし、妻子をもってみると近頃は(人が100人いれば100の真理がある)と考えるようになりました。そのように考えていれば意外な人や意外な言動におどろくことがありません。ある時(あなたはよく正論を言うが人は正論では動かないのです)といわれ、なるほど、と目から鱗が落ちました。
(十人十色)という言葉はこのタイトルの内容を言いえています。それを肝に銘じておけば少々のことにまどわされたり、ふりまわされたりすることはありません。良くないのは(人はこうでなければならない)とか(自分はこうでなければならない)という考えに基づいて混乱させられることです。
何がおこっても不思議ではないし、どんな人間がいても不思議ではありません。
これが私の人生の結論です。
2011年12月1日。六本松の会社に行き、帰りは組合の忘年会に参加した。ビール大ジョッキ4杯、焼酎のお湯割り1杯で良い気分になった。仲間たちとのざっくばらんな話しに花をさかせた。
帰宅のJRに乗って、つり革につかまっていると、目の前で二人の若い女が喋りあっていた。職場の話を淡々としていたので耳を半ばかたむけていると、経理の話にはいったころ、(方程式に罪はないわ)という言葉が発せられ、わたしはおどろいてその言葉を意識の中にとりこみまちがいないかどうか確認した。
(方程式に罪はない)
という言葉にまちがいはなかったが、なぜわたしがその言葉に注目したかというと、(人間は物質であり、その意志・行動は化学反応である)と結論づけていたからであった。64年間生きてきて、自分もふくめまわりの人々の言動の基本ラインはまったく変わっていないことを知っている。(人の命は地球より重い)とか(二人のために世界はあるの)など人間中心主義的に基づいた教育がいかに人間観や社会観をゆがめてしまったかよくわかる。
人間や社会の動きは化学反応であり、特権的、特殊なものではない。(すべてはなるべくしてなる)化学方程式と考えればそれに(罪)などあるはずもない。
畑作りをしながら雑草や害虫(これは人間中心主義の言葉でかれらの目からみれば人間こそ害虫でしょう)を捕り、サトイモを掘り出して人に分けたり、自分で食べたりする生活は充実感があります。農業経営者ではないのですが、だからこそ自然と触れ合って動植物も私達人間と同じだななどと考え、自分の体力を自然エネルギと交え闘いながら、元気をもらっているとおもいます。耕運機もトラクターもなく、スコップやクワ、カマを使って作業をしています。
農業という観点からみると経営においても自然環境においてもたいへんむずかしい時代になっています。人間は自然の一部であり、自然があれば生きていけるという考えから見れば、小さなポットに飢えられたワケギの成長にだって私達は自分の心を重ね合わせ、共感することが出来ます。
農業を経営、経済の目からみるだけではなく、(自然界)とみることも大事ではないでしょうか。
このホームページの目的はそこにもあります。人生の総括でもあるのです。わたしは64歳になって自分がかなり見えるようになり、人から指摘されて美的感覚があるといわれ、うれしくもありました。もっとはやくその方面で仕事をしていれば楽しかったのにと考えますが、まだ遅くはありません。
実は昨日、キャノンのEOS-(1800万画素)を買い、試し撮りをしたところ性能の素晴らしさにおどろきました。いままで撮った写真は評判がいいのですが、このカメラでとっていればもっといい作品になったのにとも考えますが、コンパクトカメラはそれなりの小回りがきいて効果を発揮してくれたのは確かです。
EOSは一眼レフですから手動撮影もでき、自由度も十分あるので、写真にじゅうぶん挑戦ができます。私の狙う作風は(気配)の漂う写真、(哲学的な)写真です。毎日が楽しみです。どんな天気の日であろうが、作品になるのです。どんな人間、光景、出来事であろうあが作品になるのです。
どんな人間もこんなわたしであっても作品にも文学にもなりえるのです。
残された時間を10年と予想しても、じゅうぶんにあります。