ブログ - 20251124のエントリ
一つ前のブログで中村さんのことを書いているが、明後日、彼に、弁当配りをすることになっている。また、うちの屋敷では渋柿がびしょなりで、売っても今年は渋柿がすごく多い年だから売れそうにない。吊るし柿はたくさんぶら下げているので彼に持っていってやろうと考えた。
彼のことを考えると、経済的ショックを受けて死ぬことを考えている自分に似ているのではないか?と思い、ドッペルゲンガーという言葉を思い出した。七十八歳になっていつ死んでもおかしくないし、そのテーマはこのホームページに二十年前に小説として書いていたのであった。城山峠という小説である。閲覧者者数は七千ほどあるがたいした反響はなかった。ウイキペディアでドッペルゲンガーを調べると、(自分自身の姿を幻覚で見る幻覚を示し、古くは死の前兆と信じられていた)と書いてあり、もしかすると自分がもうすぐ死ぬ身であって、中村さんがドッペルゲンガーとして現れたのではないか?
それに、一か月間で片方の靴が三度も消えてしまったのである。
そのように考えると現実が次第に身近になってきた。死ぬ前に死期を予期できることがあるという話を聞いたことがあったが、そうかもしれない。心不全や脳梗塞が起こる可能性が強い自分である。あの世の存在を信じるのでもしかすると、あの世が待っているのではないか?
