ブログ - 202611のエントリ
渋柿を四十個ほど採って、教会で売り、その金を献金した。まだ三十個くらい残っているがそれは小さいので自宅で吊るし柿にしようと考えた。いつも不思議に思うのはなぜ柿には渋柿と甘柿があるのか?ということである。ネットで調べるともともとは全部が渋柿であったのに鎌倉時代に突然変異で渋柿ができたと載っている。なぜなのか?と考えた。もともとは動物や人に食べられないために全部が渋柿であったがそれでは放置されて落ちた柿だけしか増えないことになる。そこで急遽考えを変えて、おいしい甘柿に変身して誰にでも食べられて種を拡散しようとしたのではないか?そう考えると理解できるが、植物だってどのように増やしていけばいいかという本能があるということである。
人間社会に置き換えてみると、戦争ばかりしている国が方針を変えて、どの国とでも付き合える友好国になれるということではないか?北朝鮮やロシア、イランよ少しは渋柿の生き方を学びなさい。
ところが、満月に甘くなっても新月にはまた渋くなるという。
柿の気持ち誰か教えてください!
十日に一度は産直店に行って、もみ殻を置いてくる。月に四十個ほど売れて金になる。産直店の向かいには精米所があって、もみ殻はタダです、自由に持って行ってください、と板戸に書いている。倉庫に入ってもみ殻を袋に詰め、産直店に運ぶ。そのことを知らない人はわたしのもみ殻を買ってくれる。年金生活者にとってありがたい収入であり、十年以上こんなことをしている。産直店に行くと、玉ねぎの苗、五十本が800円で売っていたので、買い、畑に植えた。すると、雨が降ってきて、水をめぐんでくれた。まるで予定調和説のようなじゅんかんであるが、すべてはこんな風にはいかない。雨のない酷暑がつづき、果実の木は枯れかかっている。だが、水をやれば玉ねぎはきちんとそだち、来年の春には美味しい玉ねぎはカレーの具になっているはずである。
人の世もこんな具合に循環し、そのことのわかる人が増えれば良いと思う。相手に良いことをしてあげれば良いことになって帰って来るし、悪いことをすれば悪いことになって帰って来る。
