ブログ - 20250122のエントリ
出来事や事件を知って、加害者と被害者に色分けしたくなるが実はその色分けはあまり意味がない。両者はいつでも入れ替わるからである。カギと鍵穴の関係におけるように反転すれば同じものなのである。ユダヤ人の歴史は悲惨なものであり、皆殺しに近いホロコーストにあって気の毒としか言いようのない歴史であったが、アラブの土地を取り返してイスラエルを建国し、今に至り、アラブとの戦争を起こしている。こうなると被害者とか加害者とかの関係ではなくなる。力は正義なり、なのである。相手が滅びるまで戦い続ける。それは物理学の法則に似ていて、作用と反作用の繰り返しに過ぎない。
札幌すすき野の殺人事件は裁判が進み、次は瑠奈被告の番になるのだが、猟奇事件と言われるほど怖い事件であるが、裁判の場でどこまで真相に迫れるか?関心を持っている。性交時に避妊しなかったことが原因のように報道されているがそうではない、と思う。日頃から家族を相手にサドマゾプレーをやっていたというが、瑠奈被告はそれを現実にやってみたくて仕方なかったに違いなく、避妊をしなかったことを理由に行動に走ったのであり、殺害行為はサドマゾの延長、現実化に過ぎなかったのである。こんなケースはいろんな事件においていくらも控えている。