ブログ - 20240526のエントリ
ヤフーのニュースを読んでいると、こんな記事が出ていた。
単性動物はコピーで増えるので、けっきょく生んだ者とまったく同じ命がつづいていき、それは両性動物がすべて異なる子孫を残すのと異なって、自分の命は失わず、永遠の命を保つということなのであった。
少し頭が混乱したが、やっとわかった。
そしてそれから、聖書の(禁断の木の実)の逸話も新しく展開できそうであった。エデンの園でなに不自由なく暮らしていたことは、果物だけで生きてきた人のことが同じくヤフーに出ていたように、穀物や動物の肉を食べなくても生きていけることである。働かなくても良いエデンの園であったが、蛇の誘惑にかかってそこから追い出された人間は畑を与えられて苦労をして耕作をしなければならなくなった。神がそのようにしたと書いてある。それまでは人は単性で増えていたようであるが、神が男のあばら骨をとって女を造り、両性になった。この部分は以前もブログに書いているが、もしかすると両性具有ではなかったか?と想像する。その証拠らしきものはある。睾丸、それから続く肛門には鎖状の帯があり、(蟻の戸渡)と呼ばれ、縫合の跡に見える。なぜそんな跡があるのか?と言えばそこには穴があって、女の膣であり、女の子宮につながっていたのではないか?それがふさがって男の精嚢になったのではないか?という推測である。ふさがった跡が鎖状の縫合後になって残っている・・・。両性具有であれば男とでも女とでも交わることができるし、自分とまじわることも出来なくはない。創世記の記述にあるように神が精嚢を切り取って(あばら骨を切り取って)女にした、と想定すれば論理性が産まれる。
創世記の記述は人の歴史に沿った部分が多い。
