ブログ - 20240502のエントリ
五輪真弓さんの歌(恋人よ)にすっかりはまっている。彼女の作詞・作曲・歌であるが、賛美歌を聴く以上に心を打たれる。聖書の分量から言えば数万分の一ほどであるが、心はそれに等しいくらい感動させられる。歌はやはりすごいと思う。
(恋人よ)カラオケ同好会で三度ほど歌ってみたが、最初の歌い出しに声がついて行かず、三度目では感動しすぎて涙が出、中断してしまったのである。(枯葉散る夕暮れは来る日の寒さをものがたり)が歌い出しであるが声がのらなかった。それから先は歌えたのであったが、歌詞もついていきにくい・・・。
昨日、カラオケの女友達に見本になって歌ってくれと、頼んだが、難しすぎて歌えません、という返事。彼女はハスキィーな声でテクニックも抜群であるが、歌えない、と聞いて、驚いた。
その歌は歌を超えた祈りである。(恋人よそばにいて、こごえるえる私のそばにいてよ・・)とあるが、なぜ、(恋人)ではなく、(あなた)と呼びかけないのか?不思議であったが、(恋人よ)と抽象化することによって幅を広げたと思った。(神よ)と言っても良いのである。
言葉は記号であるが、その源は願いや鎮魂であり、それは異言・祈りである。
歌うことは神と話をすることでもある。