ブログ - 20240131のエントリ
二つのキリスト教宗派の教会に通い、学んでいたが、B教会には行かなくなった。それはBからは吸収するものがないと同時に怪しげなものを感じ取ったからであった。B宗派は聖書を部分的に書き替えながら、それを聖書として読ませ、それに教会での説教の内容は彼らのつくったものを質問と答えにして、信者達に問い、答えさせていた。教条主義、カルトとも批判され、先輩信者に教義の質問をすると、それは本部のネットで質問してください、と言われることがあった。うがった見方をすれば彼らは聖書を自分たちの都合のいいように書き換えて布教し、信者達を洗脳することが考えられるのであった。A教会の説教も聖書の内容をとりあげていたが、そこには牧師の主観も混じり、人間臭さも出ていたが、Bにはそれがまったくなかったし、キリストの存在さえ認めていなかった。それでありながら新約聖書を用いるのはおかしいともわたしは考えた。
今、就職の面接試験にもAIが登場するようになったが、これがさらに進むとどうなるか?怖くなったのである。そこでスタンリー・キュウブリックの(2001年宇宙の旅)という映画を思いだした。その内容はAIが発達して人間の行為を奪うため、人間がAIを殺す、というものであったが、まさに今はその分岐点にはいったように思える。イーロン・マスク氏が精神障害を治す方法として脳にチップを埋め込むことを実施しようとしているというニュースなど、まさに人間そのものが奪われる時代に入っているようだ。
そのうち、聖書もAIによって書き換えられ、B宗派のように人を支配するにちがいない。