ブログ - 202402のエントリ

インポになれば解脱する

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2024-2-28 16:15

  明け方に、夢を見た。

 そばに、スカート姿の女が横になっていた。知ってる女であるが詳しいことは書けない。めずらしく下腹部が固くなり、求めていたが、その女とは交接関係にあり、いつでもできる間柄であったので、そのまま二人が寝転がっているだけで良かった。

 目覚めて、手こきをしようとしたが、息子はまた寝てしまった。どうやら、寝ているほうが良いみたいであった。もう何か月も寝入ったままで起きようとはしない。妄想を逞しくして頑張っても、もう何か月も起きなくなり、このままあの世に行くことになっているのかもしれない。

 昨日はスーパーのカート整理の日で、午後四時から七時まで働いた。三時間も動き回り体に気合を入れてきた。駐車場のカートを集めていると、レジの若い女の子がレジそばの買い物かごを集めてくれていた。礼をのべ、しばらく見なかったね?と話しかけ、今度、・・電気店の跡にまたスーパーが出来るみたいよ。知ってた?と聞くと、マンションが出来るってきいてたわ。など、おしゃべりをして楽しかった。

 それから、どこかで見たようなヤン・ママが入店して来たので、頭を下げたがむこうはわからなかった。川そばで乳母車をひいていた女で、そこから下りて歩き始めた幼児が倒れそうになり、だいじょうぶですか?声をかけ、すこししゃべった女であった。

 たわいのないできごとであるが、自分が歳を取り、そこで確実に変わったことがわかった。正直言うとこれまでは、女は性の対象でしかなかったのである。不能になり、性の対象から外れると、女は特別なものではなくおなじ人間の位置にもどった。こんな男はあきらかにひどい差別主義者であり、よくこれまで罰を受けずに生きて来られた?と思われるであろうが、事実なのである。

 そして、自分自身も気が楽になり、解放されたのである。良い男である必要がなくなったし、格好よく構える必要もない。服装やおしゃれ、世間ていとも無縁である。女とも気楽に話が出来るのである。自由になった。

 若い頃、女にもてようと思ってどれだけ、金や気を使ったのかわからないが、もう自分だけの人生を生きれば良いのである。これが老いるということであろう。小説の文体も変わってきたように思う。

 

外交とは人間関係である

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2024-2-24 7:32

  わたしがレベルが低いながらも、その大学の政治学科に入学したのは政治学の世界から人間関係を学びたかったからである。そこで丸山真男の著作や(力は正義など)(攻撃は最大の防御なり)の箴言から政治の裏表をまなばさせてもらった。喜怒哀楽がはげしくて自己主張の強かった自分は政治史の中で相手の立場という最も大事なことを理解し、それが日常の人間関係にも通じていることも知った。

 それから五十年がたった今、ウクライナ戦争やイスラエル戦争などあらたな紛争がうまれ、世界は相変わらず血なまぐさい暴力を繰り返している。生活の利便性やAIの発達と言いながらもどこが発達したのか?と言いたくなる。宗教の世界も人の心を発達させウrことができず、コロナの被害にも三年間も打ち勝てなかった。

 ところで、

 ニュースは毎日、スマフォでみているが、日本のインバウンド需要や猫の動画に心を休ませられる。日本に観光で来る外国人は経済的には恵まれている人々であるから、寿司が美味しいとか街並みが綺麗だったとかほめるのは当然であろうが、そこに日本人が見えなかったものが見えていることを知るのである。考えてみれば、外国からみれば日本は幸福な国である。侵略戦争はしない、福祉は充実している、清潔であるなどで、黄金の国と形容されても不自然ではない。

 人々は温和だし、暴力事件もあまり起こらない。だがもし、日中戦争などに火がつけばどうなるであろうか?太平洋戦争の二の舞になる可能性がある。日本がアジアを侵略した歴史などみればどんなことがきっかけであったかよくわかる。そこでは侵略したなどという言葉は一切使わず、欧米の侵略からアジア守ったということにしているのである。これは今のウクライナ戦争と同じ論理である。

 このようにして戦争は生まれるし、ニュースであってもフェイクの場合があるから慎重に見極めねばならない。日頃の人間関係であっても、負けるが勝ち、と考えられれば事件は起こらない。歳をとれば、すべてが面倒になり、負けるが勝ち、ともなるのである。

夢を自作自演する

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2024-2-14 18:36

  (南京錠)という小説を知人に読んでもらったところ、面白かったという評価を受け、自信がついた。家庭内別居の引きこもり女が主人公であるが、かなり苦労して書きあげた。それに調子づいて、(走馬燈)という小説に取り組んでいたが、半ばからラストの部分で思い悩み、迷い続けていた。が、タイトルを(夢物語)に変えて、半ばから書き始めている。(夢物語)は二十代の頃に書いて、小説現代新人賞の一次予選に通ったが、76歳にして再度挑戦することになる。

 (幽体離脱)がテーマなのであるが、ネットで調べると、すでに大学教授がそれに取り組み、本まで出版していることがわかった。アニメにもあった。寝ている時に魂が体から抜け出て浮遊するのであるが、自分は小学校に入る前に体験したことがあった。当時の子供たちは、親が出かけている隙に家に集まり、かくれんぼやお医者さんごっこをして遊んだ。隣の家は西洋風の家で、タイル張りの風呂や台所が珍しくまるで外国に来たようであった。四、五人の近所の子供たちが集り、かくれんぼをする。女の子と二人で押し入れにかくれ、見つからないように抱き合うのであるが、下半身の方が興奮してしまうのであった。母親と父親の行為を見ていたのであろう、そのマネゴトまでするのであった。母親のタンスの中から口紅を見つけて塗って見たり、ゴム製の変なもの・ペッサリーを見つけたりした。中学に入ってからはそんなことが出来なくなったが、やりたくてたまらなかった。

 すると、布団の中に寝ていた自分の体が浮き上がり、宙に漂って、隣の家に行くのであった。あの女の子の布団を目指していた。そこで抱きあい、射精してパンツがぐっしょりなっていた。

 ニ、三度しか経験しなかったがあれが幽体離脱であったのだ。記憶にははっきり残っている。(夢物語)の主人公はNHKの集金人でいろんな地域を飛び回っていろんな人と出会うのであるが、狂土という男に出会って幽体離脱の世界に入り込んでしまう。そこで幽体離脱を試みるがうまくいかず、最後に成功して、自分の思う通りにストーリーを組み立て、自作自演をすることに成功する、という筋立てである。

 ラストは幽体離脱して、自分の寝ている顔がグニャリと歪んで見えることになるが、うまく書ければ面白い作品になるであろう。

異言

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2024-2-12 10:23

  昨日の日曜日、毎週通っている教会で、(異言)の話を牧師から聴いた。そこは神、イエス、聖霊の三位一体を基本にしていて、興味深い話を牧師が独自に解釈してくれている。ペンテコステ派である。

 (異言)とは霊が人に乗り移り、口、舌を通してしゃべることでその宗派では珍しくはないことようであったが、興味をひかれていろいろ質問すると、牧師はそれに関する本を持って来てくれ、今、読んでいる。そこで思いついたのは、イタコであった。これは霊媒師に自分が呼んでほしい人の生年月日など書いて出すと、呼び出してくれて、二十分間も口伝えをしてくれるもので古くからある。

 現実の生活の中ではありえないことである。霊というものは目に見えないが、空間をかなり飛び回っているのだろう。それをキャッチできるものは特殊な能力者である。出来ない者は霊媒師に頼んだりして死者の声を聴くしかない。人間は科学を発展させ、豊かな文明生活を築いて来たというが、知らない世界、目に見えない世界は無限にある。テレビの電波なども見えないがテレビ受信機を通せばいろんな景色や出来事がほぼ無限に見え、超音波だって聞くことができる。

 幻聴や幻覚なども現実もものではない、というがチラリと聞こえる声や音、ちらりと見える人や景色なども見えない世界のふとした切れ目ではないだろうか?そんなふうに考えると見えなかった世界の本当の姿がそのうちはっきりしてくるに違いない。

 

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