ブログ - 20230622のエントリ
昨日も、敷地内の草刈りをした。草刈り機で刈るが、700坪の中の三分の一ほどが畑と庭であるから、来年は出来るか?体力はどうか?と不安になる。なにしろ、肥料をやっても育っていた野菜は消え、ヤブガラシやギシギシ、ツルがはえまくり、セイダカアダチソウなどは背丈にも伸びてジャングルとつくっていた。草刈り機の歯にそれらが巻き付いて、なんどもむしり取らなければ先に進めない。ロシアと闘うウクライナ兵みたいなものである。
大まかに刈り終えたが、つぎは管理をまかされている200坪の草地が待っている。そこは平地で肥料をやっていないので草の背丈は低い。
今日の朝、足腰が立てないのでは?と不安であったが、立って歩けたので良かった。今日は選定はさみで刈り残した草を刈っていこう。
大腸がんの検査をして見つかったポリー王を切ろうかどうか?と医者に相談したが、寿命を85歳としてみればあと何年間の命であるから急いで切ることもないと判断した。
寿命を目先にすると気持ちがすごく安らぐのである。深沢七郎の小説・楢山節考の書き出しにあるように、おりん婆さんが楢山詣りに行けることを楽しんでいるのに似ている。楢山詣りとは姥捨てにされることであるが、その息子も悲しむどころか母親同様彼に嫁が来ることに期待しているのである。母親を山に捨てるというすごく難しいテーマを深沢氏はのんびりした筆致で描いており、すごい!という言葉しか思い浮かばない。
自分は年金とバイトで食いつないでいる生活であるが、気候も暖かくなり、知り合いも増えて、ごはんも美味しく食べている。(日本人にうまれてよかった)というコピーは50年も前に大村崑さんがテレビの中でひょうひょうとした顔で言っていたがその気持ちに自分が重なっていることを知った。親の期待に押しつぶされそうになりながら、何をやってもダメだった男が末期を迎える。これもまた楽しからずや・・・・。という気持ちである。
ウクライナ戦争のニュースを観ながら、あんな国もあり、サタンのような男もいる、戦争で破壊される街、殺される市民や子供たち、・・・。幸いにして日本はいまのところ戦争はなく、医療も福祉も充実しており、自分の住む街は自然災害も起こっていない、人々はやさしく、争いもない。。
そんなことがやっとわかってきた。若い頃、そうであればもっと幸福であったであろうが、当時は親の期待が強く自分自身の欲望も激しかったので、目が濁っていたのである。人生の残りは少なくなったがロウソクの火が消えるまで強い好奇心をもって生きて行こう。