ブログ - 20230614のエントリ
今年の5月31日、三十代の若者が、ぽっち、と言われていると邪推して、二人の女をナイフで殺し、二人の警察官を銃で殺した。殺人事件を耳にして驚くことはなくなっているが、ぽっち。という言葉が自分の耳を刺した。それは自分のことであり、自分に言われたも同然であった。
小学校の頃から自分は変わり者だと思っていたし、こんなおれが生きて行けるかと不安に思いながらランドセルを背負って下校した記憶がある。中学、高校と成長していくにつれてますます自分の変わりようが明らかになっていった。ドモリである、中学校に不正入学させられた、女に憧れるが怖い、頭が悪い、人付き合いが苦手、スポーツも苦手である、など何一つ取り柄がなく、自殺をしても未遂であった。
だが、大学の空手同好会にまちがって入り、一撃必殺の世界で、半死半生の目にあって、自分で起き上がることを知った。宗教や文学、哲学などを学んで世間の考え方に間違いのあることを知った。自分がおかしいのではなく世間がおかしいのである。それを追求した結果、このホームページの冒頭にある言葉にたどり着いた。
この事件の加害者がもしこのことに気づけば殺人にはいたらなかったはずである。世間は正しくて自分はまちがっていると洗脳されていたからナイフを振り回し、銃を発射したのである。逆説的に言えば三人を殺したのは世間なのである。世間は無言の圧力で加害者に迫っていたのである。
暴力事件のほとんどは人間関係である。今の自分は妻子はおらず、金もなく、地位もなく、友もおらず、なにもないぽっちである。だが、幸いなことに老いぼれ老人に世間は期待はしない。
ぽっち、で悩んでいる若者こそこのホームページを読んでほしい。
もっともっと悩んでほしい。ぽっちであることは希少な価値があることを知ってほしい。