ブログ - 20221125のエントリ
聖書を勉強し始めて5年になり、素晴らしい経典に出会ったと喜んでいる。同時に自分の考えとは異なる部分もでてきて、さらに好奇心をわかせている。興味を持ったきっかけは十年前に心臓のバイパス手術をうけて成功し、臓器の動きに関心を持ったからであった。手足の筋肉は自分の意志で動いているのに心臓をはじめとする内臓は自分の意志とは関わりなく動き続ける。誰があやつり、動かしているのか?と考えてがわからなかった。そこで聖書の創世記の文章に出会った。その初めの部分に神がすべての生命をつくり、産めよ、生きよ、繁栄しろ!と告げており、生きるために不随意筋を動かしているのは神であると考え、性は繁栄の必須条件だと思った。
ところが日本では性に対するタブーが強く、性教育も不十分である。セクハラに過敏になっていることもあって手を付ける者も少なくなった。特に若い者はどのように性をとらえて良いのか?わからず、パパ活や乱交などが隠れて流行り、梅毒の感染者の数も戦後最高の数値になっている。政府も文部科学省も手を付けることが出来ず、メディアも有識者たちも遠巻きをしている状態である。
わたしも75歳まで生きて性に大いに関わり、生命であることも悦びをうけてきたのでいろんなことを考える。オナニーで射精が出来るようになるまで、簡単ではなかったが、大学生のある時、初めて(夢精はしていた)射精が出来た時の感動は一生忘れない。それから、何人かの女と交わり、性の神秘界に足を踏み入れたわけであるが、その隠された世界はとても広く深く、まるで神の世界のようでもある。
射精をする時間は数秒間であるが、誰がこの仕組みをつくったのか?と考えるとやはり神しかいない。男も女もこの絶頂感を求めて、命をかけるのである。それは神の世界に一瞬はいったごとく素晴らしい。男と女が頑張ったあげくに与えられた褒美である。神の祝福である。大切にして感謝をしながら生きて行かねばならない。射精は自分でコントロールできるようになるが、それまでは不意に訪れる天啓のようなものである。