ブログ - 20221030のエントリ
わたしは75歳になって、なんとか空気を読める男になったが、現在、空気を読めないことは適応障害と捉えられている節がある。発達障害という言葉もあり、これが障害者の中に追い込まれている風潮であれば、問題である。まわりに同調することは空気を読めて健全なのであろうか?政治や思想、学問の分野で異質な考えを持つことはその世界の発展のためには必要なことなのである。
確かに空気を読めなくて困っている人はいるし、自分も大学生のころまで他者の心が読めなくて困ることがあった。だから自分の異質性を捨てていったのであるが、振り返ればそこには貴重なものがあったのである。その時は評価できなかっただけである。今、捨てたものを拾い直し、小説の中に生かそうとっしているのでもある。
空気を読めないことは悪いことではない。今、芸能や音楽、絵画、小説などが活気を失ってしまっているがそれは空気を読める人間ばかりが多いからである。