ブログ - 20221023のエントリ
ウクライナ戦争におけるプーチンの言動を見ればわかるように、加害者のくせに加害者と言う意識はまったくなく被害者意識に凝り固まっているのがわかる。ナポレオンやヒットラー、直近では欧米・ナトーの侵略からロシアを守るため、ウクライナを併合する、という論理である。それは太平洋戦争において日本が欧米の侵略からアジアをまもるという構図にそっくりであるし、これまでの侵略戦争に共通することでもある。さらに、世界の歴史は侵略の歴史でもあるのだ。
だが、なぜ武力行使でなければならないのか?アメリカもかつてイラン・イラク戦争、ベトナム戦争などで侵略してきたが、いずれも失敗し、世界の警察官の立場を返上しかけたではないか?それをスパイあがりのプーチンは理解出来ず、自国を崩壊と破滅に向かわせているのである。日常生活においても暴力沙汰が絶えることはなく、加害者は自分が害を与えているという自覚はなく、腹をたてさせられた、裏切られた、侮辱されたという被害者意識ばかりである。つまり、加害行為には被害というまったく逆のベクトルが内在している。作用と反作用という物理学の法則みたいなものである。
これに振り回される国家・社会・人間に、自分も含めてもう少し成長してほしいと思う。
小説の執筆に取り組んでいるが、三分の一くらいまで書いて、それから先が進まない。題名とテーマに沿ってすすめているのに気力が失われ、その方針に疑いが出てしまう。傑作と呼ばれる作品を何度読んでも、ヒントが浮かんでこない。そこで、傑作ではなく、印象深かった作品を思い出してみると、西村賢太の(苦役列車)に思い当たり、図書館からもう一度借りて来て読み、研究する。
書き出しからして、朝起きて、臭い汲み取り式の便所に入って小便を長々とする場面である。一般的な作家はこんなありふれた汚い婆面は最初からきりすてるのであるが、その作品は芥川賞を5とっただけあって、心に残るものであった。なぜなのか?と考えた。作者は私小説の信仰者であり、無名の私小説作家の全集を発行もしているのである。そこでわかったのである。作者の狙いは、切り捨てるものの中に価値があるという見方であったのだ。それはわたしがこのホームぺーヂの冒頭に書いていたことではないか?
つじつまが合った。作者が書いたある小説の中で編集者はこの部分は切り捨てろ!と言うが、妥協せずに文芸雑誌にのせたところ、その部分が評価され、認められたと書いていた。作品の評価と言うものは結構難しいものである。ヒット曲やタレントや映画であっても最初からうまくいくとは限らない。
そんなことを考えながら、取り組んでいる作品の切り捨てるか所にもう一度目を向けることにした。日頃の生活の中でも切り捨てた知り合い・友人や食べ物、映画などいろいろあるがもう一度、手に取ってみると意外な真価があるはずである。