ブログ - 20220515のエントリ
ヤドカリとイソギンチャクの共生関係は小学校でも習ったことであるが、そこには一つの法則・原理みたいなものが潜んでいる。イソギンチャクは岩に張り付いていて、移動することができない。ヤドカリは移動は自由にできるが、餌をとることが得意ではない。獲物の動きが素早いから追いつけないので、死んだものしか食べれないのである。
そこでいつのまにかイソギンチャクはヤドカリの体の上にすみかをつくり、移動するようになった。そのかわり、イソギンチャクは食べ残しを落とし、ヤドカリにプレゼントするのである。ここで移動するものと移動できないものの共生の仕組みが必要に応じて発生した。
世の中の仕組みをながめてみると、この共生関係はいたるところに原理として働いている。割れ鍋に綴じ蓋という夫婦の関係もそうである。夫婦の一方に欠点があれば他方はそれを補うようになり、夫婦関係の仕組みが出来上がる。
また、金持ちと貧乏人の場合もそうである。貧乏になれば生活保護や福祉の世話になるしかないが、その金は税金という形で金持ちが出すことになっており、貧乏人は無税である。
これは生き物の世界ばかりでなく、物質の世界でもそうである。車のエンジンに使われるキャブレータは負圧と高圧の差異を利用して、車が坂道にかかると濃い燃料が自然に送られるようになっている。また、エボナイト棒をこすれば電気が発生し、両端の電気の量は異なっており、その差異が電力になっている。
今の世の中は差異を否定し、平等でなければいけないという考えであるが、そうはいかない。たとえ、平等になったとしても新たな違いが発生するし、差異はエネルギーの基なのである。
地球の誕生を考えてみよう。太陽の一部であった地球はその回転に吹き飛ばされるようにして分離した。はじめの頃は高熱の塊であったが、厚い雲がかかり、太陽の光を遮断した。地球は冷えていったがその暖気と冷気の差異によって霧が生まれ、水ができた。そこに温度の差ができ、霧を生み、地表の低い所に水がたまって溝になった。川になり、海になった。微生物が生まれ成長し、進化していった。
差異が地球の構造をつくり、生命が生まれたのである。
ここで聖書を持ち出してみたい。光あれ、と神が告げて太陽が顔を出し、昼と夜ができた。神は昼と夜を分けた・・・、とある。四季も生まれた。聖書の(創世記)には地球誕生のことも書かれていて、科学的解釈と符合している。
差異のない世界では、エネルギーも生命も生まれない。
砂漠がそうである。山も川もできず、砂丘は崩れて平地になるだけである。生命もほとんど生まれない。
今は差異を神経質になって否定しているが、このままでは砂漠みたいになって、消滅せざるをえない。差異の起こすエネルギー、その価値を見直さなければならない時代である。