ブログ - 20220513のエントリ
今の世の中は精神界が基盤を失い、すごく不安定な状況である。こんな世の中に生きているだけで気が狂ってしまうといっても過言ではない。女らしさ、というだけでどこかのチャチャ族が騒ぎ、もしわたしが有名人であれば谷底へ突き落とされるであろうが、幸いなことに有名人ではないので無礼が許されるのである。
わたしは性の分野においても、レアである。小学校上学年の頃の写真があるが、テーブルに向かって横座りをし、カメラの方を流し目で見ているのである。あぐらをかかず、女座りをしているのだ。あぐらをかくことは知っていたのになぜそんな座り方をしたのかわからないが、写真を撮ったものは海水浴にいっしょに行った身内である。
幼少の頃、父や母が仕事に出ている時、引き出しやタンスの中をしらべることが楽しみでもあった。父の引き出しの中からはエロ雑誌が出てきて、どこかに遊郭の女達が下半身裸で現れていたし、母のタンスからは化粧道具とともに見慣れないゴムが出てきて、後にそれがペッサリーと呼ばれる避妊具であることがわかった。婦人公論という雑誌はセックスのやり方や避妊のやり方などがいつも詳しく書かれていて、それでわたしは性教育を受けたのであった。口紅を見つけて唇に塗り、その顔を鏡でながめてうっとりしたこともあった。
オナニーで射精が出来るようになったのは大学生の頃で、その絶頂感は歴史的な出来事であった。けっきょく、こすり続けることでイッたのであるがなんとも言えない経験をした。ついには尻の穴にキュウリを入れてこすり、右手はペニスをこするということまでするようになった。
高校に入ると、おまえは女みたいだ、と言われたが同性愛に誘われることはなかった。東京で大学生活を始めると、男から誘われたことはあったが、女がこれだけたくさんいるのに男とやることはないと考えた。悪友から三百円でさせてくれる女を紹介され、五年間ほど通った。楽しい思い出になった。
ガラス工場で臨時工の仕事を始めた時、そこにいた新卒の男を好きになった。田舎から出てきたばっかりの初さを持っていて、時々、背後から抱きしめてやったがそれ以上には進まなかった。
ここで振り返ってみると、わたしは男でもあり、女でもあることがわかる。
つまり、男とか女とかの性別にとらわれるのではなく、その人の人間性なのである。