ブログ - 20211103のエントリ
書き始めた小説(醜い花は、いない)が、前進できず、迷っていた。もとより、才能などはなく、好きで書いてただけであるが、文学賞の一次予選にも落ちていたし、書く意欲も衰えてきているのがわかる。なぜなのか?と考えると、あることがわかった。それは、小説らしく書こうとする姿勢が原因だった。いろんな名作を読みながら、真似をしようとしていたのであった。
(レア仲間)というこのホームページにしてもそうであろう。ちっともレアじゃなと言われたこともあった。まだ自分という男の変態ぶりを書ききってはいないし、それはそこに(希少価値)が求められているからである。だから容易に踏み込めないのである。
そこで、梅崎春生の(贋の季節)という小説を思い出した。これまで相当な数の小説を読みながら、強く印象に残っている作品である。読み返してみると、さすが小説家だな!と感動するところを改めて発見した。戦争前のある曲芸団(サーカス一座)が舞台になっている。いろんな曲芸師をかかえて、旅から旅へと興行をして回るが、客の入りは悪く、倒産寸前である。そこには芸人として力持ちの男や猿や馬やオットセイなどがいるがどれとして冴えないものばかりであった。主人公の男が、老いた猿に洋服を着せてみては受けるのではないか?と提案する。老いた猿はなんの芸もできず、目の前のハエをつかもうとしたり頭をかいたりするばかりでムダメシを食っていた。洋服屋を呼んで、背広を団長が注文し、金貸しから借金をするがびっくりするような額であった。ところが、洋服屋が出来上がった背広を猿に着せると、猿は驚いて、逃走するという結末である。
人間なんて洋服を着た猿にしかすぎない、という作者の訴えがわかりすぎるほどわかる。これが作品なのである。(醜い花は、いない)は奇形顔の男が、その顔は生まれつきのものだと、からかわれ、友達が言ったその老婆を障害者の会から追放し、また、奇形顔の男はある女から救われる、という筋立てであるがこれを変えようと考えた。ハッピイエンドを狙ってはいけない。奇形顔の男は見世物小屋に引き取られ、いろんな出来事に会いながら、奇形とは何なのか?という結末に持っていくべきだと思い直した。