ブログ - 20191119のエントリ

不幸はいけないことなのか?

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2019-11-19 10:00

  私の身の上は、72歳にして妻子に逃げられ、金銭苦、孤独という状態で、それは不幸と認定される主要な条件を満たすのに十分すぎる。それは多くの人が、不幸の定義を植えつけられていて、最初から先入観をもっているからである。

 確かに朝、目が覚めて、なぜ、目が覚めるのか?覚めなければいいのに・・、と悔やみに近い心境になることがある。特に、良い夢を見ている時で、昨晩は、教会で賛美歌を歌いながら、私の好きな叔母が笑顔で私のそばにいてくれた。眼覚めはそれを打ち破ったのである。その夢をそのままあの世に持っていければさぞ、(幸福)であったろうと思う。

 新聞の人生相談を読んでいると、なぜ、そんなことで悩んでいるのかわからないことがある。生活費がきちんと入ってご飯が食べられているではないか?わたしなど、昨日、産直での売り上げが240円であり、これでは肉が買えないと不安になるが,そんな不安がないなんて、幸福ではないか?と反論したくなる。

 ある女の人は、しゅうととうまくいかないこと悩みなのであった。ではそこに、生活費の悩みが加わったとすれば、しゅうとの悩みは半減するのであろう。

 また、ある講演で聞いた話が印象に残っている。

 その女の人は息子が障害児で排泄や入浴の面倒を看ている。まわりの人のほとんどは、大変ですね!というが、彼女にとってそれは嫌いな言葉である。

 なぜであろうか?

 彼女はその介護に満足感と幸福感を持っているからである。

 が、他者にはその気持ちがわからず、既成概念と表面的な部分で判断しているからである。これに類する事例はたくさんある。もう一度自分や他人の悩みを考え直してみると、ほとんどの悩みは消えるはずである。

 空腹の状態であれば、どんな食べ物を見ても美味しく見える。(空腹は最大の味覚を作る)のである。これは、(動的平衡)という言葉で総括される。不幸であればあるほど、幸福の味わいは、それに比例して強くなるのであるから、不幸は幸福の触媒作用を起こす、と言うことである。逆に幸福であればあるほど、不幸はどん底感に変わる。人生の最高潮にいる人が自殺するのはこの原理に基づいている。

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