ブログ - 20190909のエントリ
ひとつ前のブログを読むと自分の文章が変に思える。自分で書いていながら何を書きたいのか、まだ、まとまっていない。それに、おかしな区切りの枠が出て、書きにくくなってしまった。小説として、女になりたかった女、男になりたかった男を登場させてからませれば面白いと考えた。
女先生はそんな病気にかかりながら、陰の部分が色気としてにじみ出なかったのである。色気とは実体と重なり合いながら存在する陰みたいなものであるが、全方位的に明かりを浴びて出来ない場合がある。
男勝りでありながら、自分の陰・女を求める女先生は興味深いし、それをドラマにして書き上げていくことも、能力があるかどうか別にして面白いし、今の時代に消えてしまったサドマゾを復活させてみるのも、あれは何だったのかと考えさせられて面白いのである。女先生の内部から、マゾ的なものや負圧的なものが出てくれば女になっていくであろう。歌においてもテクニックに頼る方であり、声の出し方に距離感という言葉で、5,4,3,2,1と数値化している。そうして、(造花)を作り上げていけば、生きた花より美しいものが出来上がるに違いない、造花教室の造花先生として。
今回のテーマは非常に面白いらしく、クリック数も日頃の10倍くらいになっている。定期的なチェックの数かもしれないが、書く意欲が湧いてくる。
先ず、(男になりたかった男)について書いていこう。二年前、英会話教室に通っていて、初老女が私の顔を見て、ゲイみたい、と大声で言った。よくチャチャを入れる女であったが、そうか、よく見ているな・・、と思った。高校時代まで女みたいなタイプで、臆病で神経質でもあり、逞しい男に憧れていたのは事実である。大学時代に300円でさせてくれる女を紹介され、五年間ほど通って、男にしてもらった。行為の時に、入れたり出したりするのよ、と指導を受けた。大学の沖縄空手道剛柔会に三か月間ほど通い、一撃必殺の精神と技を鍛えてもらい、リンチをうけ、それまでの自分は完全に殺されたのでもあった。
そこで、自分は男になったつもりであったが、70歳になってまで、女の余韻が残っているのであろう。余命も控えているので、ゲイであっても構いはしないし、個性の一つだと思う。
(女になりたい女)
例の女先生のことであるが、プライバシーがあるのであまり詳しくは書けないが、仕事のために女を捨てました、と言った。なるほどな、と考えたが、キャリアウオマンのほとんだが男みたいだとはいえないし、中には女の色気をたっぷり持ってる人だっている。女先生の場合は本来の資質なのであるがそれを隠しているように考えられる。
彼女はすごくネネルギッシュで明るく、さばさばして積極的である。一か月前にある病気がわかり、このままだと死んでしまう、と言われながらも落ち込むことはなかった。