ブログ - 20190907のエントリ
ついにこの言葉にたどり着いた、感がする。
わたしの顔は、若い頃、助平ったらしい、むっつりスケベ、と言われていたが、私を好きになった女からは(色っぽい)といわれることに気づいた。垂れ目、流し目で相手を見るとそんな印象になることが自分で分かった。昨日、床屋に行ったとき、少し離れて自分の顔をみると、下瞼が腫れて赤く、上瞼もそうで、すごく怖い顔であったが、散髪椅子に座って見ると、普通の爺さんの顔であった。理容師の女に、人の顔は光線の具合で変わりますね?というと、そうですよ、とうなづいた。
つまり、色気とは何なのか?を考えてみたいのである。
こんなヨーロッパ映画が記憶に残っている。ナチス政権のもとにおける男・親衛隊員、そして、その政権に抑圧された女を、鞭で叩き、ガーター・ストッキングの衣装で性的快楽を追求したものであった。かなり怖く、スリリングであったが、色気とは抑圧されたエネルギーがにじみ出る有様、表情であると言うことであることと理解する。今の開放的な時代においては消滅しており、復権するのは抑圧と暴力が、良い悪いの問題ではない。
いは別にして要求されるということである。
辞典で調べれば、性的に惹きつける力、と書いてあるが、少し違うような気がする。表面にはチラリとしか出ない(陰の力)ではないかと思う。エロビデオを観ていて勉強になるのは、わざと作為的に興奮した顔を浮かべればそれはまったく効果がないどころか、減滅である。逆に興奮を抑えて見せないようにした場合の方が効果的である。そこに色気があるし、それは時代や国によっても異なる。
例の女先生は男勝りで、(女になる)ことをいつも夢見、表情やいろんな仕草で訴えようとするが、そばにいても、パサパサ感しかない。わたしは彼女から練習中に叩かれたり、抓られたりしたことは熱意だと受け止めていたが、年上の爺さんにそんなことをする女に色気などが出るはずもない。
色気とは内面からにじみ出る潤い、艶のようなものでこれも人工的に作れるものではないが、歌舞伎の女形は見事に作り出しているし、あれは性的に惹きつける力とは異なるものである。演技で色気を出すことも、歌に心をいれることと同じく、むずかしいものである。