ブログ - 20190906のエントリ
カラオケ女先生とは、メールのやりとりで、「先生は自分の歌い方に対して、どう思われますか?しなをつくったり、笑顔をだすことばかりに気を取られて、心が消えてますよ」と書いたところ、怒り始めて、あなたは屁理屈屋でどこに行っても同調できない人、自己陶酔が強くオナニーに満足している、と関係ないことまで持ち出した。わたしは教える事には自信があります、とも書いてきた。女を怒らすことは面白く、すぐに個人的な攻撃をしてくることも知っていたが、深く考えてみるとそこで発見したことがあった。
それは人は練習して、歌が上手くなっても、気持ちを入れることは出来ない、ということである。それが出来るのは歌手のようなほんの一部の人なのであり、気持ちを入れるというマニュアルはなく、先天的、突然変異的なもので、指導は出来ないということであった。(ここで喜んでごらん、笑ってごらん、泣いてごらん)と言われて本気でそれが出来る人はいないし、まねごと程度なのである。でも、俳優や歌手、芸能人はそれが出来るのであり、訓練してそこに達するわけではない。
感情というものはかなり複雑なもので、喜びの中に怒りや悲しみが混じってたり、怒りの中に喜びと悲しみが混じっていたり、色合い、と同じく少しの加減で正反対に移行するものである。そこをプロは微妙なニュアンスで色合いをつけていくことが出来るのである。
カラオケ発表会では、先生も含めて数人には心が入っているが、その他は発声練習の成果を出して、下腹部に力を入れてはっきり歌っているが、同じ歌い方で、個性は消えている。いわば、造花づくりに精を出して来たのであった。生きた花を育てていきたい。歌うのではなく、囁きかける、話しかける歌い方であり、それはちあきなおみの(赤とんぼ)に現れている。
今回の良い体験で、良い小説が書けそうな気がする。