ブログ - 20190331のエントリ
昨日は、岡垣町の成田山で、毎年行われる春祭りに行った。昨年、一昨年とそのイベントのカラオケ大会で歌ったことがある。又、歌うつもりであったが今年はないということだったので行かないつもりであったが、知人から誘いの電話がかかってきた。
バイクで行った。
成田山の麓、その上り坂を一回りするほどの道に車が行列を作り、誘導の警備員が立ち、道の傍にシートを広げて花見の準備をする家族連れが見えた。カブでのろのろと上り坂を上って行くと、行けども行けども空と四方を桜が埋め、桜並木に圧倒された。胸を打たれた。
自然破壊が進む中で、桜は春を忘れなかった。
この町の利権政治にはいつも腹を立てていたが、自然は純粋である。夜になれば夜桜見物客で埋まり、数少ない祭りの一つとして、町外からも訪れる人が多い。
イベント広場からは日本舞踊の演歌が流れ、見物席はすでに埋まっていた。日舞があり、フラダンスがあり、コントがあり、バナナのたたき売りや、21歳の男性歌手の歌やトークがあり、抽選でサザエやイチゴや、卵が配られ、最後に餅巻きがあった。壇上から投げられたが突き出す手が多く、勢いに負けて、二つだけ拾えた。
来年も行ってみよう。
(行く春や鳥泣き魚の目に涙)
芭蕉の句である。
以前はこの句には興味が湧かず、何を言ってるのかわからなかったが、解説文を読んでわかった。過ぎ行く春を惜しむ句なのである。過ぎ行く春を惜しんで、鳥が泣き、魚が眼に涙を浮かべるという、なんとも奥深い作品である。超現実的な、作品である。それは北斎の絵にみられるような超現実性である。魚が泣く、なんて誰が考えるであろうか?考えたのは芭蕉ひとりであろう。
春が去れば、夏が来る。
夏も良いではないか。