ブログ - 20190311のエントリ

舞台の袖口で。

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2019-3-11 21:27

  昨年の今頃にもこのブログを書いたが、一年間,生きて、また書くことになった。

 昨日の日曜日は、カラオケ教室の発表会であった。およそ、180人が歌うことになっていて、10番目に走裕介の(北のひとり星)を歌った。体調は良かったが、喉に痰が執拗にたまり、声が詰まった。顔見知りの女から、飴玉をもらい、だいぶ収まった。マイクを手に取った時、十分に落ち着いていることがわかった。歌詞の一語一語を意識し、どのように振舞うかを考えながら歌えた。成功であったが、二三か所痰が絡んだ声であった。

 先生が指で丸印を付けて寄って来た。(声が心と一体化した時が最高にうれしいのよ)と言ってくれ、自分の心理を突いていた。言葉が詰まり、涙が滲んだ。(どうしたの?)と聞かれても声が出なかった。

 後で、何人かにも褒められ、淋しいのや悲しい歌が自分の声にあってることが分かった。

 舞台の袖口に立って、歌う人にマイクを手渡し、戻ってきた人から受け取る仕事にかかった。お願いします、お疲れさんでした、と声を掛け、正面からのライトを浴びて暑かったが、楽しかった。小柄でヨボヨボのお爺さんが座って順番を待っていた。今にも倒れそうな歩き方をしていたので、大丈夫ですか?と訊くと、舞台には出れるけど、歌い始めて、後ろにひっくりかえるかもしれんからその時は頼みます、というので少し怖くなった。84歳と言った。

 曲が流れ始めると、彼は舞台の中央に歩いて行き、歌い始めた。

 あまり上手ではなかったが、少し、後ろに仰け反るようになったので駆け寄ろうとしたが、踏みこたえ、無事に戻って来た。安心した。

 あとで思い出し見ると、よく出場している人で、あんなに弱った状態で歌う意欲に感動した。自分が生きているとすれば十年後の姿かもしれなかった。

マスコミの洗脳力。

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2019-3-11 20:57

  わたしたちはマスコミを通さないと、出来事や事件、世の中の動きを知ることが出来ない。マスコミとは関所のようなものである。マスコミにとって都合の悪いことは出さないことが、彼らの身を護る術になってしまう。

 NHKで集金業務をやっていた時、全体会議の中で、こんなことが放送部の管理職の口から話された。新聞社から電話があって、ある読者がNHKについて批判的な投稿をしてる、ということであった。管理職はその人の住所と名前を聞いて、謝罪に訪れたと話し、具体的に新聞社の名前まで出していた。それで、新聞の投稿欄に記事は出なかったのである。

 こんななことが日常的に行われているのである。

 創価学会、共産党、作家の不祥事などは特別な事件を起こさない限り、出ることは無い。作家の場合は小説家であったりして、新聞社系列の出版社の言わば身内であるからであり、その他に記事に出来ない団体や人はたくさんある。だから、わたしたちはその団体や個人のことを知ることが出来ない。微妙なセクハラや微妙な暴言、微妙な人権の記事がすごく氾濫している半面、千兆円のもわたる日本の借金、それが減るどころか増え続けていること、凄まじい環境破壊を環境のせいにしていることなどは単発の記事で片づけられている。

 ネットの記事が勢いを増して、テレビが消えることも取り上げられることは無い。テレビは新聞社の系列になっているからである。このようにして自分達が洗脳されているのに、テレビをほとんどの人が観ている。自分で考える力を失った依存症の人であろうし、中には巧みに取捨選択をしている人もいるであろう。

 わたしはこの十年くらいテレビを全く観ていない。新聞はとっているが、契約が切れたら、とらないつもりである。自分が取材者みたいなものであるから、日常のちょっとした動きや話に耳を傾け、人や社会について考える。すると、逆によく見えるようになったことに気づく。

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