ブログ - 20190319のエントリ
先日、町の運営するワークショップに参加し、町づくりについて意見を言った。区長や介護事業運営者、一般町民から良い意見が出た。最後にわたしは、どんな共同体にも支え合いの精神はあるし、それがなくなれば崩壊する、と持論を述べた。
終わって部屋を出ようとすると、ワークショップの講師が私に寄って来て、良い考えですね、と話しかけ、社会状況について話し合った。彼は60歳くらいの男であるが、そこで、団塊世代は逃げ切ったですね、と言った。私は言葉の意味を考え、その世代の一人である自分も含めて、高度成長期の中で美味しいものを食べ、幸福を味わい、負債を後の世代の残したまま消える、という意味だと理解した。それはその通りである。つくづく自分も含めて、団塊世代の情けなさには思い当たっていて、その言葉にとどめを刺された想いであった。
本来、親父、になるべき男が子供のまま、発達障碍者になってしまっている。親父は、親しい父と書くが、安倍総理を始めとしてそんな男が周りに見当たるであろうか?確かにボランティア活動に汗を流したり、社会のために尽くそうとしている男はいる。だが、彼らが喧嘩をしたり叱ったりする光景を見たことがないし、美味しいものを食べて百歳まででも生きようと考えている者がほとんどである。
江戸時代には、地震、雷、火事、親父、と言われるほど父親は怖かったのであるが、それだけの面倒看は良かったし、教訓もたれたのである。
現代の、親父老人たちは逃げ切った、と言われても仕方がない。
話は変わるが、わたしは日常生活において、ここに書くブログのような調子で人にしゃべることがある。そのせいであろう、多くの者達は退屈そうな顔をしたり、時計を見上げて早く話が終わるのを待っている。
昨日は、ある男性から、あなたの言い方は上からの目線ですね、会の運営側に立ったのだから、もう少し、腰を低くしてください、と言われた。わたしは決して、上からの目線でしゃべってるわけではないが、文語調でしゃべるとそのようになってしまうから、口語調に変えるべきだと考えた。