ブログ - 20181112のエントリ

自死を引き受ければ悩みは消える。

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2018-11-12 5:58

  キリスト教を聖書で学び、教えてもらいながら、およそ一年が経とうとしている。それをテーマにした小説も完成した。どんな評価を受けるかわからないが、自分では満足しているし、意外な発見もした。

 宗教の存在の意義だとか、イエスの生き方、信者達の考え、キリスト教の本質、などいろんなことを見出したが、自分の立っている場所、その意味合い、を知ったことは大きな収穫であった。一年間も、学びながら、神を感じることは無かったし、祈ろうともしなかった。それが不思議なことで、若い頃であればまちがいなく、手を組んでいたはずである。

 つまり、祈ることがないのである。自分の余命はうまく生きてあと、十年ほどであろう。家庭もなければ、夢もない。いつ死んでもいい、心境であるし、死を待ってもいるのだ。

 いつの間にか、そんな心境になってしまった。

 そこで考えるのは、近代以前の日本人は切腹も含め、死を引き受ける構えがあった。元服の儀式にあるように、切腹を作法から学んだのである。それに引き換え、擬制の民主主義と資本主義に毒された現代は、死を否定し、長生きする商売の大繁盛である。

 死んではいけない、苦しんではいけない、悩んではいけない、と、ないないずくし、を普及させ、そうしておいてたっぷりと金儲けのために利用するのである。いっそのこと、死を引き受けてしまえば、すぐにでも消える悩みは山ほどある。

ログイン
ユーザー名:

パスワード:


パスワード紛失

ブログ カレンダー
« « 2018 11月 » »
28 29 30 31 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 1
アクセスカウンター
2024/05/08:325/575
2024/05/07:109/134

2024/04/08より2153/7528