ブログ - 20170509のエントリ
被差別部落の人々を差別する言葉が、(同和)に変えられたがその言葉にも差別感の手垢が付き始め、近頃ではメディアからも消え始めている。もとより、被差別部落とは豊臣秀吉が新しい下層を作り、貧しい農民に自立心と優越意識を与え、彼らから年貢を取り立てやすくするためだった、と聞いたことがある。架空の階層なのであるが、その言葉で差別することにより、自己の劣等感や悩みを相殺するかのように人々は使い始めたが、民主主義の体制の中で消え始めている。それは良いことであるが、近頃では東北大震災の被害にあった人々が差別の生贄にされ始めており、階級制度は残念ながら普遍なのである。
最近、新聞でブス(醜い女)、オトコオンナ(男勝りの女)なども差別用語ではないか、と書いてあった。そうなると、ブオトコ(醜い男)、オカマ、ホモ、レズなども差別用語になり、違う言葉に美容整形されて消えていくのではないか?と思う。
私が入っている障害者の会で、ここには書けないようなイジメがあった。被害者は会長や会に訴えたが問題提起されず、町役場の福祉課に訴え、福祉課は差別、イジメはいけません、と書いたパンフレットを配布することで務めをこなした。が、イジメは止まず、(お互いに助け合う仲間ではないのか!いじめているお前は会を辞めろ!)と言って、私が加害者を会の仲間の前で非難、罵倒した。(その言葉は見逃せない!)会長は私に言った。(福祉課でパンフレットを作ってもらったじゃないか!)彼は言い訳をした。(ではなぜ、いつまでも尾を引いているのか?内部で話し合うべきではなかったのか?)激しいやり取りをしたが、結局、加害者の認知症がひどくなり、パワーダウンしてイジメはなくなった。
この会のように、最近は自助努力はせずに外部団体に出して、トラブルの表面上の処理をすることが多く、後で大事件になることが多い。言葉の美容整形ではなく、本質を訴え、俎上に出すべきである。正論を言わない社会だから、活気がなく、淀んでいるのである。